『諸行無常』は宇宙の真理
平家物語の始まり、
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」では、
仏教の『無常偈』の一節を引用しています。
◆『無常偈』は、四字四行の超ミニお経です。
<いみ>
諸行無常 この世の全てのものは、いつも移り変わっています。
是生滅法 生じたものは必ず滅びる、それが宇宙の基本法則なのです。
生滅滅已 生死にとらわれている心を消滅させなさい。
寂滅為楽 そうすれば、悟りの世界で永遠の安らぎが得られるのです。
<よみ>
諸行無常 しょぎょう むじょう
是生滅法 ぜしょう めっぽう
生滅滅已 しょうめつ めつい(めっち)
寂滅為楽 じゃくめつ いらく
◆『無常偈』ものがたり
お釈迦さまが、仏になる前、ヒマラヤの山中で修行をしていた。
修行時の名前は、雪山童子(せっせんどうじ)で、
童子は、正しい教えを求めて苦行中であった。
帝釈天がその心を知り、羅刹(らせつ=鬼)に姿を変えて、童子の前に現れ、
「諸行無常 是生滅法」の二句を唱えて聞かせた。
童子は感激して、「きっと続きがある。それも教えて欲しい」と頼んだ。
ところが、羅刹は「腹が減っているからダメだ」という。
童子は、「教えてくれたら、私を食べてもいいから」と約束する。
羅刹は、「生滅滅已 寂滅為楽」の二句を教えた。
童子は、後の岩壁に、これらの四句をしっかりと書き留めた。
そして、約束どおり、前の崖から身を投げた。
そのとたん、羅刹は元の帝釈天の姿となり、童子を空中で抱きとめた。
(この話は、涅槃経及び仏教説話集「ジャータカ」に載っているそうです)
コメント
妙とは、心、心とは空 法とは、肉体、人間は妙法に、住する、変化する肉体は、瞬間瞬間に、老い衰える無常の当体、妙とは心、空なれば、
有りと思えば其の体なし無と思えば
縁に触れほつほつと、厳然と顕現する。不思議な実相、故に、心無ならば滅せず、此の妙理知れば、寂滅いらく、死とは方便、人は心疲れれば眠る、肉体は法、肉体が、疲れれば死ぬ、明日になれば、目覚めの如く、心は元気に、死ねば、明日になれば、生まれ替わる、赤子と為って今日の話は昨日の続き、今日の話はまた明日、因果の理法、利己は悪、利他は善。悪積もれば地獄と為り、善積もれば為楽の如し仏と為る。意味不明かな此の寝言では、
汝は何処から来て,何処に住するのか、吾人は、仏の心より出でて吾人の心に住す。此の理に迷うを凡夫悟るを仏、雪山童子の如し
投稿者: 平成の船守弥三郎 | 2013年03月04日 11:31