ぶらぶら長崎:旧町名の復活
長崎市で、1月9日に二つの旧町名が復活しました。
「銀屋町」と「東古川町」。
長崎市ホームページに掲載されています。(下図を借用)
先日、彼地を訪れたとき、復活することを聞いていました、
帰京後、地元の方のホームページでも拝見していました。
龍馬通りを歩いた(昇って降りた)帰りに、銀屋町通りも歩いたのは偶然の縁。
二つの旧町名は、1966年(昭41)に古川町と鍛冶屋町に統合・分割編入されたとのこと。
これは、1961年(昭36)に施行された「住居表示に関する法律」によるものでした。
道路で町を分割し、何々町何丁目式の町名が採用されました。
旧町名は、道路を挟んで、両側で一つのコミュニティだったのです。
町が分割されても、お祭りの山車や神輿などは、旧町内で多く維持されています。
由緒ある町名の廃止は、歴史・文化の軽視と効率偏重の産物であったとも言えます。
旧町名の復活は、そうした状況に変化をもたらすきっかけになると思います。
努力された住民の方々に敬意を表します。
今年の「くんち」では、両町は最高に盛上がるのではないでしょうか。
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実は、旧町名の復活では、金沢市が長崎市の先輩です。
さすが加賀百万石の城下町です。
読売新聞のYOMIURI ONLINEの「北陸発」(2002年10月16日)の記事を引用します。
金沢市では
1999年に「主計町(かずえ)まち)」を、
2000年に「飛梅町(とびうめちょう)」と「下石引町(しもいしびきまち)」を復活。
また、片町の一部にあった旧「木倉町(きぐらまち)」と、
広坂の一部にあった旧「柿木畠(かきのきばたけ)」を
よみがえらせようという計画があります。
この記事では、旧町名の復活の意義や手続き、課題なども論じています。
町の変化や住民の意識なども関わり、ただ旧に復するというわけにもいきません。
それでも、旧町名を知る人が健在な今が勝負所ではないでしょうか。
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