世相:ベビーカー事故で思うこと
このところベビーカーが電車のドアに挟まれる事故の報道が多い。
母親が赤ちゃんを抱き、ベビーカーをたたんで乗り降りすればよいという。
しかし、現実は荷物を持ったりしていて、母親には大きな負担である。
電車のドアを改良することも検討されている。
これはコストはかかるし、普及するにも時間がかかる。
ベビーカーにロボット機能などをつけるわけにもいかない。
◇ ◇ ◇
こうした問題に出会うたびに思い出すのは、コペンハーゲンで見た光景。
それは、1972年(35年前)頃、鉄道の駅の連絡地下道へ階段を下りていた時のこと。
何か人のかけ声がした。(たぶん、デンマーク語)
地下道に車椅子の人がいて、周りに4,5人が集まってきた。
それぞれが階段に荷物などを置くと、合図の声とともに皆で車椅子を持ち上げた。
そしてたちまちホームに運び上げてしまった。
そして何事もなかったように荷物を手にして、それぞれ歩き去った。十数秒間の光景。
いったい何があったのか、すぐには理解できなかった。
しかし、脳裏に焼き付いていて離れない。
◇ ◇ ◇
こういうサポートがあれば、ベビーカー事故などは防ぐことができる。
要は、他を思いやる心の問題である。社会の心といってもよい。
側に困っている人がいたら、すぐ手を貸してあげることに尽きる。
駅のアナウンスでも、乗客に繰り返しサポートを訴えるべきだ。
社会は、習慣的なものには、きわめて従順になる。
繰返すことで脳に刷り込まれ、誰かが実行するとそれに習う。
電車内での携帯電話のおしゃべりは、ほとんどなくなった。
混んでいる時の駅のトイレは、自然に一列行列になる。
エスカレータでは、片側を空けて乗る。
ボタンを押せば動くメカニズムに依存する社会は、もうほどほどにしたい。
声をかければ人が動く社会が、これからの優しい社会であると思う。
それにしてもコペンハーゲンで見た光景はうらやましい限りである。
【ここで一首】
(かなりの字あまりです)■