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昔ながらの線香花火2 ~ 東京・蔵前「山縣商店」

◆線香花火の「スポ手」と「長手」
線香花火には、2種類ある。
「スポ手」は、藁(わら=わらスポ)や葦あし)の先に火薬を入れた線香花火。
「長手」は、紙で撚(よ)ったこよりの先に火薬を入れた線香花火。


「スポ手」 「長手」




「スポ手」は、江戸初期(1650年頃)、鍵屋が「わらスポ牡丹」として売り出した。
これを火鉢や香炉に立て、キセルで火をつけて遊んだという。
ちょうど仏壇に供える線香のようだったので<線香花火>と呼ばれるようになった。

「長手」は、江戸後期(1820年頃)、玉屋が「紙観世の長手牡丹」として売り出した。
紙観世とは、紙のこよりのことで、街中を売り子が口上を述べながら売り歩いた。
線香を逆さにして火花の芸を楽しむという、すばらしい江戸のアイデア商品と思う。

◆消滅と復活
人手間のかかる線香花火も、経済の流れに飲み込まれて、中国産に席巻された。
国内の産地は次々と撤退し、10年程前に国産の線香花火は消滅した。
その時、復活の救世主として現れたのが東京・蔵前の「山縣商店」であった。

1999年の暮れから、愛知県岡崎市の三州火工と協力して試行錯誤の繰り返し。
約2年かけて、ようやく昔ながらの線香花火らしい火薬ができた。
和紙を決め、染め上げて、こよりの撚り手(経験者のお婆さんが指導)を確保した。

◆『大江戸牡丹』の完成
こうしてできたのが純国産の「長手」線香花火で、『大江戸牡丹』と名付けられた。
そのすばらしさは、前回のビデオで、ある程度ご鑑賞いただけると思うj。
復活に尽力された方々に拍手喝采、感謝したい。

(この記事は、山縣商店のしおりを参考資料にして書いたものです)

【ここで一首】
   <技と粋 昔ながらを 再びに 大江戸牡丹の 火花きらめく>