京都:晩秋散策紀行2013(上高野編)
◆晩秋の散策
紅葉はもうピークを過ぎていた。
その晩秋の京都の静かな「上高野」地区(左京区)を散策した。
雑誌「サライ(2008年9月18日号)」で紹介されているコース。
地元の方が推奨する淡々とした散策路である。
観光客がほとんど訪れない。
紅葉の季節だけでなく、折々に訪れてみたくなる趣がある。
◆心に残る和風の住宅が点在
叡山電鉄の「三宅八幡」駅から出発。ここは無人駅。
上高野の住宅街から修学院の方向へ歩く。
上高野は風格のある和風の住宅が点在し、独特の風情がある。
上高野(住宅#1) | 上高野(住宅#2)く) |
土塀や石垣、個性的な門構え、庭の樹木、ゆとりを感じる建屋、‥‥。
しばらく以前は、こういう住宅がより多く連なっていたのであろう。
さりげない住宅風景でありながら、胸に深く刻まれる。
上高野(住宅#3) | 上高野(住宅#4)く) |
これは、<和の文化>なのだ。
周囲の無粋で狭小で無機質な現代住宅とは対照的である。
道を訊ねた地元の方が嘆いていた。
「一軒の大きな家が潰されては、四、五軒の建売住宅になる」
けっこうな枚数の写真を撮影したが、不思議なことに気がついた。
すべての写真の撮影場所、カメラの位置づけ、構図の狙いを覚えているのである。
これは初めての経験だ。
たぶん、個々の住宅の個性に強く心を捉えられたからだ。
その心でシャッターを切る。
そして、カメラだけでなく、心にも映像がクッキリと記録されたのに違いない。
◆道を訊ねれば、情報の倍返し
京都の人は、コトバ優しく、物腰柔らかである。
しかし、そのウラで、よそ者を冷ややかに突き放して見ている、と信じていた。
それが今度の散策で、コペルニクス的にひっくり返った。
◇ ◇ ◇
上高野の住宅街をだいぶ進んで、車を洗っている奥さんに「赤山禅院」への道を訊ねた。
親切に教えてくれた上に、「左へ行くと‥‥」と追加をされた。。
大きな家が減っているとか、サルが出るとか、高台から夜景がきれいだとか、‥‥。
◇ ◇ ◇
「赤山禅院」から「修学院」へ向かうところに、食堂があったので、天丼を食べた。
帰りがけに「鷺森神社」への道を訊ね、分かり易く教えていただいた。
「今日、神社で一年に一回の『御火焚き祭』がありますよ」と貴重な情報のプッシュ。
鷺森神(紅葉と鳥居) | 鷺森神(御火焚き祭) |
◇ ◇ ◇
「鷺森神社」の『御火焚き祭』まで時間があったので、近くの喫茶店「楽」に寄った。
ママさんは「曼殊院へ行く途中の田園風景がとても好き」と言われる。
居合わせたお客さんは「この先の金福時からは京の町が見渡せる」と勧めてくれる。
◇ ◇ ◇
つまり、訊ねられたことに答えるだけでなく、さらに情報を与えてくれる。
つまり、有名観光スポットではなく、身の回りの<良きもの>に誇りを持っている。
つまり、京都の人は、優しく、つつましく、とても親切なのだ。
◆すっぴんの京都
今回の散策では、京都の素顔の一端を垣間見たような気がしてならない。
これまでの「京都観」が一変した。
これまでは、最中(もなか)の皮だけしか食べていなかったということである。
もう一度、このコースを初めから、もっとゆっくり、もう少し先まで歩いてみたい。
また、地元の京都人と話をしてみたい。
それもゆっくりと、いろいろと。
■