京都:少年の『心の親切』との一期一会
11月27日、京都・上高野で道に迷った。
出会った少年に教えてもらった。
彼の『心の親切』に感銘を受けた
◆道を教えてくれた少年の「心」
Nexus7でマップを見ていながら、方向感覚が乱れてしまった。
戻って探し直そうと思って歩き始めたら、小学5,6年生位の少年に出会った。
金属バットを入れたバッグを肩にかけている。
腰を低めて、「宝幢寺(ほうどうじ)というお寺を知ってますか?」と尋ねた。
「はい、知っています。すぐ近くだから案内します」と少年。
彼に付いて行く。
「この先の左側に階段があります。
上ると門があって、呼び鈴を押すと、お寺の人が出てきます」。
(いや、そうじゃなくて、山門に行きたいんだけど…)
少年に礼を言って、一人でさらに行く。
階段が見えて、道はその先で左に折れている。
それが山門へ通じているらしいと思われた。
◇ ◇ ◇
「そこを上って下さ~い」と、後ろから声が飛んできた。
さっきの少年年が、先まで見届けていてくれたのだ!
下の道を行きそうに見えたので、ダメを押したのだ。
これは上らないわけにはいかない。
少年に手を振って、少々急な階段を上った。
上り詰めてから、ゆっくりと下って道に戻ると、少年の姿は消えていた。
◇ ◇ ◇
緩やかな道を寺沿いにたどって行くと、やがて、T字路に。
左の角に「宝幢寺」の石碑が立っていて、奥に山門が見える。
ささやかながら紅葉が美しかったた。
◆「心」の親切
あの少年の「親切」は、彼の「心」から生まれている。
教えるという「親切」の行く末まで見守る「心」である。
その「心」はどうやって育まれたのであろうか?
品格のある家庭、が思い浮かぶ。
あるいは、野球部での精神的指導の賜かもしれない。
知識ではなく、知恵として彼の身についている。
道を尋ねて「心」を教えてもらった。
◆一期一会
彼の名前は聞いていない。
写真も撮っていない。
ごく一瞬の出会いに過ぎない。
しかし、さわやかで、濃厚な思い出が残っている。
どこか魅せられている京都・上高野の少年。
よき一期一会であった。
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