◆個人的なおいしさの味覚
おいしい米とはどんな味?。
当然、個人差がある。
世の中の評価より、食べる人が実感する味覚が一番。
私の場合、50年前に新発田で食べた米の味が原点である。
田植えも稲刈りも脱穀・精米も手作業で、稲はハサ掛けで干していた。
農薬も使わず、有機肥料栽培であった。
◆「もちもち感」と「ぷちぷち感」
現在、おいしいコシヒカリの味覚のキーワードは「もちもち感」。
一方、わが求める味覚は「ぷちぷち感」。
柔らかな粘りを感じるのが「もちもち感」、一粒一粒を噛みしめるるのが「ぷちぷち感」。
昔は、米が文字通りに主食で、おかずは添え物であった。
とにかくご飯をおいしく腹いっぱい食べる、という食事スタイル。
お米の味と食べごたえが命で、「ぷちぷち感」のあるおいしさが求められた。
食事は洋風化し、食材も多彩になってきた。
むしろおかずが主役で、ご飯は添え物になった。
レストランなどのメニューでも、「ライス付き」と表示される。
現在のお米は、そうした流れに沿って変化(進化)してきた。
コシヒカリも登場し、高い評価で食卓に受け入れられた。
食感や味覚も、洋風の食事にマッチするようになった。
動物性の油っぽい食材を引き立てる米の味は、ややあっさりした「もちもち感」。
現在の食事では、一般に柔らかく、食べやすく、歯ごたえの軽いものが歓迎される。
マスコミの影響も大きいと思うが、「標準的」なコシヒカリの味が「標準」になった。
◆ぷちぷち米を求める
勝負はついて、「ぷちぷち」米は衰退し、「もちもち」米が栄えている。
しかし、異議あり!!
もちもち一辺倒は、貴重な「米文化の多様性」を否定するものだ。
ご飯だけでおいしくて、おかずの方をご飯にあわせたくなる、そんな米はないものか。
求めよ、さらば与えられん。
この3年半の新発田紀行は、郷愁の「ぷちぷち」米を探す旅でもあったのです。
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