米作りを考える3 ~ 食べ物無ければ国は無し
食料自給率が40%を切ったという。
きわめて深刻な状況だ。
自分の国で生産する食料では、国民が食べていけないのである。
◆食べ物は世界から買い続けられるか
世界から安い食料を買うのは、けっこうなことだ、という人達がいる。
いろいろな食料輸出国と仲良くして、輸入のリスク分散をすればよい、という。
脳天気もいいところだ。
豪州では、かんばつで小麦が凶作になった。
米国では、トウモロコシのバイオ燃料への転用が進んでいる。
中国では、13億人の食料を輸入に依存する度合いを高めている。
世界的な砂漠化による農地の減少が進む。
米国の穀倉地帯の地下水はやがて枯渇する。
食料はどこからか手に入る、などの甘い幻想を信じてはならない。
◆食べ物無ければ国は無し
食料さえあれば、人は命をつなぐことができる。
江戸時代に戻る位の覚悟で智恵を絞れば、日本はある程度しのげると思う。
その基本は米作りだ。
水田耕作の米は、千年以上連作しても問題がない。
米は、日本の自然、風土、地形にぴったりの主食作物だ。
今後の世界では、軍事力(最小限は保持)よりも、食料生産力の方が重要になる。
◆資本の論理による市場経済のひずみ
そもそも食料自給率が急降下したのは、大量生産大量消費経済のせいだ。
食品メーカー、スーパー、外食産業などは、海外から低価格の食料を大量に輸入した。
効率優先の大資本主導のアメリカ式市場経済が、社会を支配した。
彼らの巧みな広告宣伝に乗せられて、消費者も政府もその流れに取り込まれた。
消費生活も食生活もガラリと変ってしまった。
国内の多くの小規模生産者は、たちまち苦境に立たされ衰退していった。
◆効率化の概念で米作りをつぶすな
そうした中で、米は辛うじて自給率を維持してきた。
しかし、食生活の変化で、米の消費は落ち、米価も低下を続けている。
もはや米作り農家の経営が成り立たない水準だ。
重要なのは、米作りの苦境は、農業問題ではなく、国の存立の問題であると認識することだ。
効率優先の経済のひずみによる問題を、米作りの効率化で解決しようとしている。
基本的に誤った政策概念で、米作りをつぶしてはならない。
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