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米作りを考える4 ~ 『豊葦原瑞穂の国』をめざそう

◆千年以上にわたる水田耕作
日本人は、千年以上にわたって水田を耕作し、米を作ってきた。
各地で、自然の地形や気候、風土と折り合いをつけ、営々と維持してきた。
水田は、人工物ではなく、日本の自然の大きな要素になっているのである。

上流の山々に降った雨や雪は、川を流れて田を潤し、海へ注ぐ。
水田は、川や湖沼や里山と一体になって、多くの動植物の生息する場にもなってきた。
我々の祖先は、そうした環境をみごとに築き上げ、米を作ってきた。

今、環境問題がクローズアップされ、自然との共生が重要と認識されるようになってきた。
水田は、そのもっとも理想的なモデルであることに気づかなくてはならない。
二酸化炭素を吐き出す車を生産する企業が栄える一方で、水田は二酸化炭素から静かに米を生産している。

◆自然との共生環境
朱鷺やコウノトリの自然繁殖の試みが続けられている。
彼らに必要な生息環境は、水田だ。
水田には、餌のドジョウやタニシがいて、そのまた餌がいて、さらに食物の連鎖がある。

昭和30年代からの高度成長=物質主義の下、水田には大量の農薬が投入され始めた。
やがて生物の生息環境は汚染され、その象徴として朱鷺やコウノトリが姿を消した。
一度失われた環境を復活させるのは大難事業となる。

◆豊かさの感覚の変容
働いて金を稼ぎ、その金で欲しいものを手に入れる、そんな豊かさを求めれいた。
ストレスに耐え、あくせくと働いた結果の豊かさであった。
貧しい社会からの脱出のためでもあった。

しかし、今や物質主義、拝金主義にうんざりした人が増えているようだ。
官僚は腐敗し、偽装がはびこり、政治家は頼りなく、マスコミも情報力はもう無い。
はやりの「おしりかじり虫」でも『かじってナンボの商売だ』と歌う。

日常のゆったりした生活と自然に包まれた環境に「豊かさ」を求める時代になってきた。
実は、もっとも身近な自然は「水田」で、しかもそこは米の生産地でもある。
これを保全することは、日本が古来から得意とする自然との共生への回帰である。

◆日本の位置付け
農林水産業を手厚く支援・保護し、緑豊かな国土の保全と食料の確保を図る。
福祉・医療・年金・教育の体系を早急に再構築し、国民が安心して暮らせる社会にする。
こうした国土と国民が生み出す文化、芸術、技術は、きっと世界をリードするに違いない。

大量生産大量消費の経済は、まもなく行き詰まる。
グローバル化には対応しつつも、恵まれた自然環境を大切にする国になりたいものである。
われわれは、やはり、水田に象徴される『豊葦原瑞穂の国』を目指すべきではないだろうか。