米作りを考える5 ~ 大規模化は決め手になるのか
◆大規模化による再建の限界
小規模な水田を集約して大規模化する。
より大きな機械力で、効率的に作業をこなす。
少ない労働力で米を作り、コストも低減する。
その実現のための新農業政策が進められている。
合理的な考え方に基づく妥当な政策のように見える。
しかし、スタート時点から既に限界が見えている。
その1は、政策目標の集約大規模化が実現しても、世界では小規模に過ぎないこと。
アメリカや豪州に比べれば、約 1/100 が約 1/10 になる位で、文字通りケタ違いだ。
生産規模としては、まるで問題にならない。
その2は、十数ha にしても、米作経営は成り立たない現実が既にあること。
秋田県の大潟村は、40年ほど前に十数ha 以上の規模で米作りを始めた。
今、米価低迷で作れば赤字の状態にあるという。
その3は、規模拡大で効率化することが目的で、結果生産する米を売る観点がないこと。
生産コストを下げても、米価がそれ以上に下がり続ける。
手前勝手な採算計算をして、使うことを後回しにして、ムダな道路や箱物を作ったのと同じやり方だ。
要するに、お先真っ暗な感が強い新農業政策である。
大規模化すれば補助金を出すと言われて、農家は動くだろうか。
一方で小規模農家は切り捨てる政策であり、参院選で自民党は惨敗した。
◆ダメのダメ押し
アメリカ式の大量生産資本主義を、日本の農業に当てはめるのはダメだ。
成功した(今のところだが)製造業の効率主義を、米作りに持ち込むのはダメだ。
米作りの現場を知らない官僚や学者が立案するような政策はダメだ。
機能不全で、農家の信頼を失った農業機関を存続させるのは、もうダメだ。
そうした機関に補助金をタレ流すより、農家に直接補償を付与して支えなければダメだ。
効率化とは逆に、労働集約で極上質の米を作り、世界にも輸出することを考えなくてはダメだ
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