米作りを考える6 ~ 企業経済論理と水田耕作
◆水田耕作は千年以上、企業は高々百年
稲は、弥生時代に日本に入ってきたという。
以来、稲は水田で毎年毎年連作されてきた。
水田は、これからも半永久的に主食を供給し続けることができるのである。
このたび代表的製造業の松下電器が社名を「パナソニック」に変更すると発表した。
その松下電器は創業九十年であり、日本の企業はほとんどが百歳未満だ。
現在の超優良といわれる企業でも、五十年後や百年後まで存在できているだろうか。
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製造業はグローバル化の大波の中で、自由貿易協定などで権益を得ようと必死だ。
その障害とみなされているのが、米を中心とする農業分野である。
非効率で、将来性もなく、産出額も就業人口も少ない旧態産業だといわんばかりだ。
しかし、製造業の実績は、自然と共生して営々と千年以上も続く水田耕作に及びもつかない。
水田耕作に対して畏敬の念を忘れてはならない。
たかが数十年の成功体験をもって、水田耕作を非効率呼ばわりすべきではない。
◆水田耕作は「米」製造業ではない
水田耕作には、製造業の市場原理、効率主義、大規模化、省力化などは、かなりなじみにくい。
製造業は場所を選んで工場を建て、管理された環境下で、効率的に生産ラインを動かす。
農業は全く別で、米は目の前にある水田で、自然の影響下で作るしかない。
水田耕作は「米」製造業ではないのである。
変革はぜひ必要であるが、まさに「百年の計」をもってあたらねばならない。
製造業の方程式より、はるかに複雑で難解な方程式を解くことが必要なのである。
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