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米作りを考える12 ~ 食生活の再考

◆メタボリック症候群
飽食の時代を反映して、「メタボリック症候群」が注目を集めている。
「メタボリック症候群」とは、
内臓脂肪型肥満に高血糖・高血圧・高脂血症のうち2つ以上を合併した状態をいう。

原因は、運動不足と食べ過ぎで、治療には運動をして食事は軽くすること。
予防できそうでできないのが、生活習慣病たるゆえん。
生活のレベルが上がり、同時に食事の洋風化が進んだ結果のメタボリック症候群。

症状改善の食事メニュー例を見ると、和風の食事がぴったりだ。
ご飯は、バターやジャムをつけないし、味噌汁や納豆・豆腐などの大豆食品がよく似合う。
大豆のイソフラボンは、メタボリック症候群の天敵だ。

おいしいご飯を軽く食べ、大豆食品と野菜と魚を取り合わせる。
日本人には、なじみやすい食事であり、食材もどこでも手に入る。
ただ、大豆は圧倒的に輸入品であるから、これを国内産でまかなうことが課題だ。

◆食育
「食育」も注目されている。
しかし、以前はこんなもの必要ではなかった。
食べ物は、みな素性が明らかで、伝統的なバランスがあり、安全・安心の食材であった。

効率優先で、食材も大量生産・大量消費の製品になり、輸入品が幅をきかせるようになった。
そして、素性が分からず、原材料も混合物で、添加物にまみれた食材ばかりとなった。
「食育」が正しい食事を志向させるものならば、現状は反面教師だ。

「食育」では、噛みしめて唾液を分泌させるもの(するめ、煮干、干しいもなど)を勧めることだ。
「食育」では、日本伝統の優れた発酵食品を理解させ、大いに食べるよう勧めることだ。
「食育」では、地域の食材を最優先で食べさせ、ふるさとの味を教えておくことだ。

◆食の安全・安心
食品偽装やギョーザ問題で、食の安全・安心が揺らいでいる。
法律や制度、規格や基準がいくら整備されても、守るのは「人」である。
悪意の経営者がいたとしても、究極は日本人同士での信頼関係だ。

特に食品は、まず日常的に食べて安全であること。
安全を保障できる安心があること。
食の安全・安心を、経済効率主義で外国に丸投げしている現状はお寒い限りだ。

◆トレーサビリティ
「トレーサビリティ」とは、食品の生産履歴を消費者に公開するものである。
大型店などでは、食品の包装などにQRコードを付けておく。
これを携帯電話で読取ると、画面に履歴情報が表示されるというもの。

いわば、ITを仲介にした顔の見える野菜や肉、ということになる。
表示される電話番号にかけると、生産者(?)と話ができるケースもあるらしい。
どうも,ITメーカー主導の感じで、定着するかどうかは分からない。

消費者が、表示される情報を理解でき、安全・安心を確認できるかがポイントだ。
ま、こういうものが出現するほど、生産者と消費者の距離が開いててしまったのだ。
自分の場合、八百屋や魚屋のおじさんが、「安全・安心の情報仲介者」になってくれている。