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手植えに思う~非効率の極み

◆非効率、また非効率
世は、「効率」優先である。
収穫量を経費で割り、数値で判断する。
大きければ善、小さければ悪、と単純明快だ。

小さな田んぼは集約しろ、大型機械を使え、株式会社で経営しろ‥‥。
それがいやなら、農業をやめろ。
大半の農家は切り捨てられ、集約不可能な多くの田んぼは放棄される。

そこに「非効率」の米作りが輝きを放つ。
米仙人の手植え・ハサ掛けだ。
ごく小規模な田んぼ、手作業、零細経営という「非効率」の極みだ。

田植え機、コンバイン、乾燥機という花形の農業機械は使わない。
農薬は使わない。除草も手作業だ。肥料は自家製の堆肥のみ。
ほとんどの作業は仙人が一人でこなし、時々娘さんが手伝う。

◆非効率の輝き
「非効率」=「ムダ・不要」ではない。
「非効率」ゆえの価値がある。大きな付加価値がある。
手植え・ハサ掛けは、失われた『伝統のおいしい米』を作り出す。

くり返すが、現代のおいしい米とは、食事メニューのひとつにうまく納まる味だ。
メニューの最後にライス付きという扱い。米は野菜の一種と言った経済学者さえいる。
食生活の洋風化に合わせて、米は過去数十年、その流れを追ってきた。

ずっと以前までは、『伝統のおいしい米』のご飯は主食であった。
そういうご飯を食べたい人は、少なからず存在すると思う。
そういうご飯を知らない人に、ぜひ食べみてもらいたい。

◆効率優先社会の変革
官僚集権的、経済効率的な「効率」優先の画一社会は、改めなければならない。
「非効率」が「効率」と混在する多様な社会には、ゆとりとうるおいがある。
いろいろな米の味を、自由に楽しむこともできるようになる。

(続く)