手植えに思う~自然とともに
◆自然の恵み
仙人がこの地に田んぼを拓いたのは、50年程前(昭和30年前半)のこと。
ちょうど日本が高度成長を始めた頃で、大量の農薬と化学肥料が使われるようになった。
「これはいかん」と思ったそうだ。
以来、できるだけ自然のままに米を作り続けてきた。
水は湧き水を引いている。
無農薬・有機堆肥で土を健康に保ち、安全・安心な米を育てる。
極め付きはハサ掛けで、これがおいしい米に仕上げる。
昼の太陽の光と夜の冷気で、理想的な自然乾燥をする。
ワラ部分からウマ味成分が、地球の引力で、米に落ちてくる。
◇ ◇ ◇
実は、田植えには、田植え機を使っていた。
それが一昨年、故障して動かなくなった。古いのでもう部品がない。
「田植え、どうすっか」と仙人。
「なら、手で植えればいいがね」と娘さん。
「じゃ、そうすっか」と仙人。
あぁ、この父にしてこの娘あり!
こうして手植えの田植えが復活した。
残されていた田植え枠を取り出し、娘さんに手植えの手ほどきをした。
なんと、娘さんは手植え経験ゼロであった!
「手植えで米が一層うまくなった」と仙人。
縦方向の稲の株の間が田植え機より広くなり、風通しが良いいので、病虫害が減る。
稲は広く根を張り、葉を伸ばして、しっかり育つ。
◆自然の中で
手植えは、のどかな田園風景の代表であるが、実際はきびしくてきつい作業だ。
田植え枠を転がす仙人は、気合と力を込めて、泥の中を真っ直ぐに進む。
腰の構え、足の運び、手の繊細な動きは、往年の熟練の技の再現だ。洗練された美学だ。
二人の植え手女性は、日除けの帽子、ぴったりの田植え用長靴、腰に苗籠のスタイル。
枠目に苗を植えて行く。一歩また一歩の手植えは、精一杯でもスローペース。
黙々と植えていく。苗を取り分ける。時々言葉を交わす。腰を伸ばす。作業は延々と続く。
ピチャ、ピチャと手足の水音。絶え間ない小鳥のさえずり。カエルも、時にウグイスも。
あくまでも自然の音だ。
下の道路をたまに車が通る。あの強力な田植え機のエンジン音はない。
◆あれこれ
手植え風景からは、様々な思いが去来する。
感動であり、感慨であり、感傷である。
以下、脈絡なく、羅列してみた。
・自然のリズムと手植えのリズムの調和は、すばらしい「癒し」の世界に誘う。
・自然との調和の中に、日本人独自の感性、創造力、勤勉性、優しさなどの源泉がある。
・地方の片隅で、黙々と手植えにいそしむ人達がいる限り、どっこい日本は大丈夫だ。
・伝統農法による米作りには、一挙手一投足に人の心が込められている。
・伝統農法は、効率優先社会の果てしない競争とは無縁。自然に浸る悟りの境地だ。
・高齢(87歳)の仙人のカクシャクとした現役の姿は、農業の無限の可能性を示している。
(続く)
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