手植えに思う~伝統農法のこれから
◆仙人の田んぼと営み
仙人の米は、60年前の我が思い出の味だ。
それを再現してくれる仙人の営み。
しかし、仙人は87歳、いつまでもとはいかない。
何らかの応援体制が必要かと思ったりする。
草刈りとか稲刈り・ハサ掛けとかの、いわば力仕事は応援できるかも。
ただ、全体の営みは仙人ならではのものだ。
仙人は、一世一代の米作りと思っているのではないか。
この田んぼは、仙人が自らの思いを実現した 『理想郷』 である。
世にアピールするためのものでも、米を売るためのものでもない。
だから、人に引きついで継続しようなどということもなさそうだ。
淡々と毎年、米を作り続けている。(それだけでも大変なことだが)
その姿がまぶしく、余計なお節介は控えなくてはならない。
◆仙人を手本に
考えてみれば、60年前位までの米作りは、弥生時代と本質的には変わっていない。
仙人の米作りはこの農法(伝統農法)だ。
中でも、かつて農家が特別に吟味して作っていた米の農法だ。
これはぜひ、後世のために伝えていきたい。
そのためには、仙人を手本に、別の田んぼで伝統農法で米作りをする。
真摯な志を持ったプロの農業人がそれを営む、という構図。
しかし、仙人の場合とは異なり、「経営」が成り立つ必要がある。
「棚田」保存のためのオーナー制度のようなものが必要であろう。
極上の米を作るのであるから、オーナー希望者は十分集まると考えられる。
◆まとめ
「手植え・ハサ掛け」の伝統農業は、非効率な第一次産業の米作りではない。
むしろ、混迷する現代日本社会に活力を与えるサービス業(第三次産業)だ。
かろうじて維持すべき弱者ではなく、社会再生のエネルギーの源泉なのだ。
仙人の営みから、そう実感される。
<米>を売るだけではなく、<営みの価値>をも提供するということだ。
その視点に立てば、「経営」の成立も解決は難しくない。
◇ ◇ ◇
あと1ヶ月で稲刈りが始まる。
ハサ掛けが楽しみだ。
それを体感して、報告しようと思う。
(この項、完)■