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2011年06月24日

米仙人の手植え2011~ビデオ編

◆手植えに思う
農村の原風景といえる手植えの作業。
田植えの機械化は、ほんの50年ほど前からだ。
それまで、千年以上も手植えが続けられていた。

そこには、機械化で失われた日本人の心の世界がある。
現代社会が忘れてしまった<和>の風景がある。
のどかな自然の中の作業に、凛とした厳しさが漂う。

田植えは、米作りのキーポイントだ。
ここで秋の実りの程度が決まる。
農家にとっては、生活にかかわる真剣勝負の作業なのである。

◆手植えの風景
今年は、新助っ人も加わり、3人で植えた。
この人たちは、手当てを貰うわけでもなく、全く自主参加だ。
仙人の娘さんは当然かもしれないが、それでも普通じゃない。

誰もが楽しみながら作業を続けるが、ボランティアでもない。
手植えでは一株一株に手抜きは許されない。
緊張感とゆとりの織り成す<和>の桃源郷。

◆ビデオ撮影(5/23)
写真と異なり、ビデオはこの風景をリアルに記録できる。
撮影のための演出はしないので、不十分なところはある。
それだけに、かなり、ありのままの映像になっていると思う。

実は、ハイビジョンで撮影しておきたい。
で、秋までに新しいビデオ機を用意する予定だ。
ハサ掛けは、より質の高い映像で記録できると思う。

2011年06月02日

米仙人の手植え2011

◆危うかった今年の手植え
大ピンチ!仙人のトラクターが壊れた。
まだ、半分の田んぼしか耕してなかった。
これだけに植えることにしよう、と仙人は決めた。

しかし、娘さんが「農協からトラクターを借りてこよう」と提案。
そして、手植えはこれまで通り続くこととなった。
危うかった。

写真アルバムへのリンク。

◆今年の手植え(5/23)
今年は強力な男性助っ人(70歳前後?)が参加していた。
そのため、1日で全部を植え終えたようである。
仙人が手植えを手伝うことはなかった。

娘さん、親戚の奥さん、新助っ人の三人は黙々と手植えを進める。
時折、気楽なおしゃべりを交わす。
真剣であり、楽しんでいて、のどかで、爽やかである。

仙人(89歳)は、相変わらず、隙のない作業をしている。
田植枠を転がし、細いあぜを向う側に一輪車で苗を運ぶ。
鍬とシャベルで水路を土で開閉して、各田んぼの水を調整する。

田植え枠の泥を水路できれいに落とし、次の田んぼに運び、枠を転がす。
ちょっと目を離すと、空の苗箱を小脇に抱えてあぜを歩いている。
ひと休みして息を整えている間も、次の作業の読みに余念がない。

 ◇ ◇ ◇

天気は曇りで、写真撮影には少々条件が良くなかった。
写真とビデオを取り替えながら撮影を続けた。
今回は、奥(上)の方からのアングルを加えることができた。