源平の合戦 ~ 馬が船に勝った藤戸合戦
第4章 源平の合戦
7)馬が船に勝った藤戸合戦
◆めまぐるしい動き
1183年、木曽義仲が京に入り、平家は都落ちした。
1184年、範頼・義経軍が京に迫り、義仲と戦い、義仲は敗死した。
範頼・義経は、福原(神戸)に構える平氏を討つべく京を出立する。
◆平家は屋島に、源氏は西へ
平家をを攻める源氏は、一の谷合戦で大勝利をおさめた。
このとき、義経は坂落しの奇襲をかけた。
合戦で平家は多くの武将を失い、四国讃岐の屋島へ退いた。
◆備前・藤戸の瀬戸で源平対峙
屋島の平家を横目に、源氏は陸路を馬で西進する。
平家は海から船で牽制する。
やがて両軍は、備前・藤戸の瀬戸を挟んで対峙した。
片や陸の源氏、片や小島に船で陣取る平家。
船を持たない源氏は、平家を攻める術(すべ)がない。
いたずらに朱鷺が過ぎ、大将軍範頼も困り果てた。
◆盛綱、漁師から情報を得る
この苦境に、佐々木盛綱が貴重な情報を入手した。
土地の漁師から、引き潮時に小島へ渡る浅瀬のあることを聞き出した。
その漁師に案内させて、夜陰にまぎれて浅瀬を確認した。
盛綱は明日の戦いで手柄をたてることができると考えた。
もし、この漁師が他の者にこの情報を漏らしたら、手柄はふいになる。
そして、口封じのために漁師を斬った。
◆源氏、馬で海を渡り、平家また敗れる
次の日、浜に現れた盛綱は家の子郎等と共に、引き潮の浅瀬に馬を乗り入れ、対岸へと渡り始めた。
これを見た範頼は、「あれを止めよ」と命じた。
土肥実平が追って「大将軍のお許しがない。お戻りなされ」と呼びかけた。
盛綱は耳を貸さず、渡り続ける。
実平も止めかねて、やがて付いて渡り始めた。
範頼は、「浅瀬だったぞ。渡れ渡れ」と命じた。
あわてた平家は船をそろえ、矢を射掛けて防戦したが、源氏は次々と押し渡る。
1日戦い、夜に平家は沖に退き、源氏は陸へ戻って息を休めた。
平家は屋島へ漕ぎ下がっていったが、船のない源氏は追うことができなかった。
◆盛綱、頼朝に褒められる
「馬で川を渡った武将はあるが、馬で海を渡ったのは、稀代のことである」
頼朝は盛綱の軍功を最大限の賛辞で讃えた。
そして児島庄を盛綱にあたえた。
■