歴史の横道1 ~ 佐々木盛綱と加地庄(新発田)
◆佐々木盛綱は源氏の武将
佐々木盛綱は、源平の合戦で活躍した武将である。
盛綱の父・秀義は、近江国(滋賀県)佐々木庄に拠を置く源氏であった。
母は源義朝の妹で、盛綱と頼朝とは従兄弟の関係にある。
1159年、父・秀義は平治の乱で、義朝とともに平清盛と戦い敗れた。
奥州へ逃れる途中、相模国で渋谷氏に引き止められ、庇護を受けた。
1180年、伊豆へ流されていた頼朝が挙兵した時、盛綱ら四兄弟が馳せ参じた。
以来、盛綱兄弟は頼朝に従い、平家との合戦で活躍する。
四郎高綱は宇治川の先陣争いで、三郎盛綱は藤戸合戦(1184)で名を挙げた。
いずれも平家物語に登場する。
◆盛綱と新発田の縁
盛綱は、藤戸合戦で大手柄を立て、恩賞で各地の守護・地頭の職を得た。
その中のひとつが、加地庄(新発田)の地頭職である。
盛綱は加地庄に、特に強い関わりを持つことになる。
・加地城を築く
・叔父にあたる護念上人が隣接の菅谷庄に菅谷寺開基
・斬った漁師の鎮魂のため、城内に藤戸神社を建てる(1190?)
・鎌倉で護念上人を頼朝に引き合わせる(1191)
・北隣の奥山庄・城資盛の乱を鎮圧(1201)
◆盛綱の子孫
盛綱の嫡子・信実は、加地庄に定着し、佐々木加地氏を名乗ることとなった。
佐々木加地氏からは、新発田・五十公野・竹俣・楠川の傍系各氏が派生した。
これら各氏は、戦国時代の北越後の激動の中で大いに武勇を競った。
◆末裔・新発田重家
特に、新発田重家は勇猛果敢、上杉景勝と激しく戦い、『新発田』の名を高くした。
現在の新発田城址の古丸辺りに城を築いていた。
1585年、攻め寄せる景勝の大軍に重家の新発田城は落城した。
◆溝口氏の新発田へ
1198年、上杉氏は秀吉の命により、越後から会津へ移封となった。
新発田へは、越前から溝口氏が入封した。
江戸幕末まで、新発田は溝口藩の城下町として栄えることとなる。
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