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佐々木盛綱 ~ 3)護念上人が菅谷寺を開基

◆頼朝の叔父・護念上人
護念上人は、源義朝の弟で、頼朝の叔父にあたる。
つまりは、盛綱の叔父でもある。
出家して比叡山延暦寺のある院の座主であったが、平治の乱で源氏が敗れた。

◆上人、加地庄に菅谷寺開基
危険を感じた上人は、ご本尊の頭部を笈(おい)に入れて都を逃れた。
諸国を流浪の途中、笈を松の枝にかけてひと休みしたのが、加地庄菅谷。
この松は「笈掛けの松」と呼ばれるようになった。

その場で上人は笈から発せらる天啓を受け、当地に留まることとした。
近くに庵を建て、ご本尊の頭部を安置した。(1191年?)
これが菅谷寺(現在の菅谷不動尊)の開基となった。

◆盛綱と上人、鎌倉へ
まさに歴史の偶然か、加地庄地頭の盛綱は上人のことを知り、頼朝に報告。
1195年、盛綱と上人は鎌倉を訪れて、頼朝に面会した。
頼朝の娘の病気平癒の加持祈祷を行ったりもしたが、上人は菅谷へ戻った。

◆菅谷寺の伽藍創建
1196年、頼朝の庇護を受け、菅谷寺は立派な伽藍を備える大寺となった。
上人の名声もあり、諸国がら多くの人々が押し寄せて来たという。
後の1206年、残念ながら、落雷により寺は全焼してしまった。