歴史の横道3 ~ 承久の乱と佐々木一族
◆承久の乱
1221年、後鳥羽上皇は倒幕の兵を挙げた。
この承久の乱で、佐々木一族は幕府方と朝廷方に分かれて争った、
保元・平治の乱における源氏の分裂を思い起こさせる。
◆佐々木一族の状況
◇承久の乱と佐々木◇
この時、佐々木5兄弟のうち、太郎定綱と三郎盛綱は既に没していた。
太郎定綱の長男は朝廷方、次男は幕府方。
次郎経高と子の高重は朝廷方。
三郎盛綱の長男は幕府方、次男は朝廷方。
四郎高綱は出家しており、子の旗幟は不詳。
五郎義清については不詳。
◆幕府方の勝利
承久の乱は幕府の完勝に終わった、
朝廷方に付いた佐々木氏は、いずれも自害しあるいは殺害された。
幕府方に付いた佐々木氏は、子孫に多くの支族を輩出する基となった。
◆佐々木信実の末裔新発田重家
三郎盛綱の長男・信実は幕府方で活躍し、加地庄に定着した。
その支族の末裔『新発田重家』は、戦国時代に激しく登場する。
重家の生きざまは、中央の歴史に抗する地方の歴史を鮮やかに映し出す。
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