新発田の「御成り道」
◆御成り道とは
御成り道とは、城下町の外からお城へ入る道で、参勤交代の行列の公式ルートでもある。
どの城下町にも御成り道はあったと思われる。
しかし、そのほとんどは存在したことすら忘去られている。
新発田の御成り道はどうなったのか。
実は、ほぼ完璧な街路としてそのまま残されているのである!
全国でも随一と誇れるような、みごとな御成り道である。
◆新発田の御成り道
新発田の御成り道は、旧町名で表現すればつぎのようになる:
上鉄砲町 → 人数溜り →立売り → 万町 → 札の辻 → 大手先
→ 御免町 → 三の丸大手門 → 三の丸通り → 二の丸・中ノ門
→ 二の丸 → 土橋門 → 帯曲輪 → 本丸表門 → 本丸
全長は、約2㎞である。
このうち、三の丸大手門は跡地が新発田警察署となっており、通れない。
その部分は、今のところ、ショートカットになるのはやむをえない。
古地図では、御成り道という表記は無いので、それと意識して読む必要がある。
著作権の関係で、古地図はここには表示できない。
「城下町・新発田マップ」には表示してあるので、ホームから参照していただきたい。
「新発田より江戸道中絵図」(愛知県西尾市立図書館蔵)というのがある。
これの最初の部分には、札の辻から人数溜り、ついで上鉄砲町の鳥瞰図が描かれている。
他にも、大手先から大手門の風景を描いた別の絵図もある。
古地図にも古絵図にも、現在の街路としても、「御成り道」は残っている。
にもかかわらず、新発田ではほとんど関心を持たれていない。
足元に貴重な観光資源が眠っているのであるが…。
◆散策・観光コースとしての御成り道
御成り道は、散策・観光コースになれるであろうか。
「Yes」である。
しかも、世の一般的な観光コースとは別次元の特徴がある。
◇ ◇ ◇
一般の観光コースは、いくつかの観光スポットを順に線で結んだものに過ぎない。
あるスポットからつぎのスポットへ、単に通りやすい道筋を移動する、のを繰り返す。
各スポットは、地理的な順番で結ばれていくだけである。
こういう観光コースには、各スポットの順番の必然性も関連もない。
だから、コースとしての「ストーリー(物語)」がない。
「ストーリー」がないから、コースの印象が薄く、どこを回ったのか覚えにくい。
◇ ◇ ◇
御成り道は、築城時に設計された道筋である。
江戸時代を通じて、200年以上も参勤交代の行列が往来した。
城下町の入口から本丸までの公式ルートであった。
上鉄砲町には、約90軒の足軽屋敷が並んで、守りを固めていた。
ここから、T字路に突き当たっては直角に曲がるを繰り返して、にぎわう商人町を進む。
城下町らしい「鍵曲り」のような構造である。
大手先には、お城の御用を勤める職人の住む御免町があった。
三の丸・大手門は、寄せ手の軍勢が通り難いように構えていた。
城内に入り三の丸の大通りを行くと、突き当りが二の丸・中ノ門である。
前面のお堀と左右の脇櫓に守られた中ノ門から二の丸に入る。
本丸の西南端の構える鉄砲櫓(現・隅櫓)の真下で、帯曲輪へ渡る。
堀に挟まれた細い帯曲輪を通って、本丸表門前に到着。
表門をくぐると、かつて広大な御殿があった本丸である。
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◇ ◇ ◇
御成り道は、城下町の作りとお城の縄張りを、実感することのできるコースである。
参勤交代の行列が街を行く光景が目に浮かぶ。
お城の櫓や堀や石垣などのイメージが迫ってくる。
行列の人々の心に思いをはせることもできる。
一年ぶりに江戸からの長旅を終え、無事に帰着した安堵感。
藩主、同行の家来衆、出迎える町人、在郷の藩士、それぞれの郷愁。
御成り道には、ドラマチックな「ストーリー」がある。
時を越えて、まさに参勤交代の行列を眺めているようなバーチャル空間に誘われる。
その感覚は、心に御成り道を鮮明に刻み込むことになると思う。
◆御成り道を観光コースにする第一歩
新発田の御成り道は、しっかりと存在している。
観光コースとしての潜在力も十分にある。
そして忘れ去られた現状。
御成り道を観光コースとして蘇らせるにはどうすればよいか。
課題や問題を整理しなくてはならない。
ここでは、初めの一歩について、提案しておきたい。
【提案】
・御成り道そのものを理解すること
・御成り道の現状を把握すること
・観光コースとしての要件を確認すること
・観光コースとしての整備計画を立案すること
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