日本のあり方:経済から文化へ(承の巻)
◆日本の【文化】
日本には、1500年以上におよぶ歴史と文化がある。
世界に誇る独自で高水準の文化だ。
恵まれた自然・風土、それらと見事に調和した農耕系の文化だ。
四季の変化に富む気候で、緑の山野が青い海に囲まれた東洋の島国。
勤勉・実直で、繊細・緻密な感性を持つ祖先達は、「和」の文化を育んできた。
あくなき好奇心と創意工夫は匠の技の原点になっている。
◆【文化】は江戸時代に完熟
江戸時代には、幕藩体制の下、300余藩で独自の文化が醸成された。
地勢、気象は変化に富み、方言、慣習、食、特産物、教育などは実に多彩であった。
主産業は水田耕作であり、経済は基本的に地産地消であった。
独自な地方文化が、参勤交代などで江戸に集まった。
既に歴史で積み上げられていた文化も尊重・継承されていた。
異文化が時空を越えて複雑に交錯・交流し、豊かな江戸文化に融合・発展した。
米の集積地の大坂でも上方文化が発達し、京は都の文化を守った。
地方と江戸・上方・京の文化は、江戸時代を通じて相互に影響しあい、熟成された。
鎖国と太平の世の中で、文化のマグマがたぎっていた。
◆【文化】が生んだ「人」資源
明治維新以降の日本は、蓄積された文化を資源として活用してきた。
実際は、「文化が生み出す人」を資源として利用した。
欧米の経済に追いつくための、日本の有効な手段であった。
明治維新では、優れた人物が地方から多数現れ、リーダーとして社会を変革した。
坂本龍馬、吉田松陰、大久保利通、福沢諭吉など枚挙にいとまがない。
富国(経済力)で発展したが、強兵(軍事力)で国策を誤り、太平洋戦争へと至った。
敗戦後は経済発展を国策として、労働力が地方から工業地帯に続々と送り込まれた。
ひとりひとりが組織の歯車として、勤勉・実直に働き、同時に有力な消費者となった。
大企業を中心とした年功序列・終身雇用の総中流意識の社会が構成されていった。
◆【文化】資源の枯渇
昭和バブルはそうした「経済」主導の社会の破綻であった。
効率優先の「経済」は、人を都市に集中させ、地方文化を支える人材を奪った。
効率優先の「経済」は、大量生産大量消費の洪水で、地方文化の独自性を破壊した。
【文化】を浪費するのみで、その保護や育成への努力を怠ったツケが回ってきた。
農村は疲弊し、高齢過疎化し、商店街・地場産業は競争に敗れ、地域社会は崩壊した。
地方には、もはや独自の【文化】で人材を育て、都会へ供給する力はない。
一方、大都会の大量生産大量消費の真ん中で育った人材は、基本的に多様性に欠ける。
満員電車で通うサラリーマン、仕事のない若者、孤独な高齢者、金の亡者達 ‥‥
メタボの大都会(東京)では、ゆとりのある豊かな【文化】は醸成されない。
現在の日本は、未来の展望を失い、閉塞感にさいなまれている。
原因は、資源としての独自【文化】が枯渇し、独自な人材が枯渇したからだ。
江戸時代までに蓄積された【文化】は、昭和(バブル崩壊)までに使い尽くされた。
◆「経済」は「雑」を排除し、自ら失速
「雑」は非効率であるとして排除するのが「経済」だ。
「純」が効率がよいとして優遇される。
標準化、均一化し、大量生産・大量販売を押し進める。
これは、コーラ+ハンバーグと自動車とTVのアメリカ的社会だ。
地元でコツコツと営みを続けてきた個人商店、零細企業、零細農家は切り捨てられた。
「雑」とみなされた地方は根こそぎに、地方文化も一連托生で、切り捨てられた。
まるで、栄養素を、蛋白質・炭水化物・脂肪の三つだけ摂取してきたようなものだ。
ビタミンやミネラルを無視したあげく、合併症を患っているのが今の日本の現状だ。
B1不足」で脚気、カルシュウム不足で骨粗そう症、鉄分不足で貧血、などなど ‥‥。
「雑を排した経済」の失敗をその「経済」自身でカバーするのは、不可能だ。
バブルの崩壊後の政策は、日本再生を「経済」に依存し続けて失敗した。
結果、15年以上も低空飛行を続け、未来の展望も全く開けなくなってしまった。
◆地方文化の稀少価値
地方文化は、ビタミンであり、ミネラルだ。
日本にとって欠くことのできない稀少栄養素だ。
ひとつひとつは稀少であっても、いずれもそれぞれに果たす独自の役割がある。
こうした地方文化は、経済効率のフルイでは「雑」としてふるい落とされてきた。
我々は新たに【文化】の価値のフルイを使う必要がある。
明治以来、捨て続けてきた地方文化を敬意と反省をもって再生し、活用すべきだ。
日本文化は、世界に誇る高水準の独自文化であり、時代を越えて光り輝いている。
その本質は、独自の地方文化が支えていることを認識しなくてはならない。
地方文化を衰退させた「経済」主導の政策を、【文化】主導に改めなければならない。
■