国のあり方:経済から文化へ(転の巻)
◆変革を阻む障害の排除
文化立国への転換にあたっては、大きな障害を排除していく必要がある。
基本的には、既得権益や旧弊に浸りきった体質のもろもろである。
いくつかの<コンナモノイラナイ>という例を挙げてみたい。
1)道州制 ~ 上からの地方分権
日本再生は地方分権がカギで、その具体策は「道州制」だとされている。
しかし、この「道州制」に国民の期待はまるで盛り上がらない。 レッドカードだ。
理由は、二つあると思う。
ひとつには、「道州制」は官・財主導の上からの地方分権だからである。
「道州制」は国の出先機関の区分そのままに近い。
官僚から見れば、既得権力の出先機関を道・州に集約するだけでウハウハだ。
財界や経済学者も「道州制」論者が多いが、企業における事業部制のような制度だ。
都道府県を廃止し、上から日本を切り分け、そこへ中央の権限を振り分ける形態だ。
国民(住民)にとって、現状よりよくなるという生活実感が全くない制度なのだ。
ふたつには、「道州制」には【文化】の視点が全くないことだ。
形式的な権限分散と経済効率を重視した地方分権案に過ぎない。
国民(住民)の関心は、生活や文化に向かっており、そこに大きなギャップがある。
【文化】の視点からは都道府県でも広すぎる。(「経済」の視点からは狭ますぎるが)
つまり、都道府県を、道・州に拡げるよりも、十数個の【文化】圏に分ける方がいい。
数百の【文化】圏が、自主の気概を持って独自性を発揮するのである。
2)経済(Economy)の驕り
「経済」には驕り(おごり)がある。
「経済」が、社会を作り、文化を作るという驕りだ。
逆に、社会や文化に必要だから「経済」があるのだ。
Economyの翻訳語が「経済」で、明治時代に福沢諭吉が提唱したらしい。
その語源は「経世済民」である。
「経世済民」は、1500年ほど前の中国で既に使われていて、略語が「経済」であった。
「経世済民」とは、<世を経(おさ)め、民を済(すく)う>という心構えの教えだ。
ところが、Economy(翻訳で「経済」)=「経世済民」という勘違いが生じた。
つまり、経済(Economy)が世を治め、国民を救うという、うぬぼれた。
「経世」は、現代では『政治・行政』の担当であり、「経済」の担当ではない。
「済民」は、GDP至上主義の経済ではほとんど忘れられ、企業優先が現実だ。
「経世」でうぬぼれ、「済民」を忘れた驕れる経済至上主義者達にレッドカードを。
3)マスメディアの旧体質
先の衆議院選挙で政権が交代し、鳩山内閣が発足し、始動した。
旧自公政権時代と違い、清新な印象が強く、世論の支持率も高い。
この大変化に際して、目立つのは「マスメディアの旧体質」だ。
たとえば、日本経済新聞の社説や論説は、未だ小泉構造改革路線の論調のまま。
市場経済と経済成長とGDP拡大の主張は、選挙の民意に沿うものとはいえない。
民意は、生活優先の政策とまともな社会への変革の実行なのである。
民主党の政策(マニフェスト)を批判するのはいいが、財界寄りに過ぎる。
記事の方は民意を踏まえていて、きわめて正当な内容が多い。
新聞の性格もあるが、頭の切り替えができていない論者などにレッドカードを。
同じことが、TVキャスター、コメンテータにも見られる。
政権の大臣などに、政策実行のための財源はあるか、としつこく問い質す。
まるで、選挙前の自民党の代弁者であり、自らの立場を分かっていない。
選挙の結果を受けて、180度の転換が必要だ。
官僚予算を組み替えろ、暫定税率廃止は修正しろ、規制改革を大胆に進めろ、‥‥。
大転換期に、前向きの提案・提言ができないマスメディア関係者にレッドカードを。
4)官僚の抵抗
省益優先、無謬神話、天下り、官製談合、随意契約、前例主義、無用な規制、‥‥。
どうしようもない。 ばっさりやるのみ。
まずは、官僚全員にイエローカードか。
◆障害を排して文化立国へ
「経済」の頭を「文化」の頭に切り替えるのは、なかなか難しい。
理念を掲げる強い政治的リーダーシップが求められる。
その理念を実践するには、粘り強い草の根の国民の支持が不可欠だ。
民主党の政策の「文化」志向は不明瞭だが、旧政権よりは大lに希望が持てる。
地方には優れた文化的活動が散見される。
国に頼らず、地方に任せず、それが文化立国の基本理念だと思う。
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