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新発田写真マップ開発報告(1)

◆やっと新発田の写真マップに着手
ずっと以前、新発田のガイドマップを作成した。
長崎と函館についても作成した。
ただ、写真とは連動していなかったし、散策ルートもなかった。

神楽坂写真マップでは、地図、写真、ガイド、散策ルート、音声を統合した。
新発田版はその第2弾として、5月から開発に着手した。
ようやく、完成のイメージができたところである。

◆「新発田」は難しい
神楽坂の場合は、最初のモデルであり、プログラム開発で四苦八苦した。
全体の形式でも、改善・改良を続けた。
基礎となるシステムは、概ね完成したと思っている。

新発田はその応用編であるが、これがまた極めて難題であった。
当初は、お城を含めて、JR駅から一回りするコースのマップを構想した。
それを確認するため、5月の連休に、改めて街を回ってみた。

その途中で、はたと気がついた。
<城下町・新発田を回っていない>
単なる観光スポットをつまみ食いしているだけだ、と。

◆眠れる城下町
新発田は、260年間にわたる溝口藩十万石の城下町として栄えた。
<その新発田を城下町としてたどるコースを作る>、ということにしたのである。
自転車で安全に走れ、ひと筆描きであればいうことはない。

しかし、ここで壁に突き当たる。

・城下町時代の由緒ある町名は、昭和30年代に無機的な新住居表示に変更されている。
・本丸は一部が遺されているが、二の丸と三の丸は周囲の堀が埋められ、境界が判別困難。
・「街」としての城下町の面影は、ほとんど見当らない。

どうやって、かつての城下町をたどろうか。

市立図書館で、旧町名の地図を複写したり、旧町名の由来を調べた。
観光ガイドマップや、江戸時代の町割り図の資料や、お城の復元地図などを調べた。
実際の通りや小路を回り尽くし、写真を撮り、コースをあれこれと試行錯誤した。

結論が出た。

<現在の新発田は、眠れる過去の城下町>、である。
城下町の無い城下町、といってもよい。
さびしいような、悲しいような現実である。

その一方で、旧町名で回ってみると、ほとんどが昔の区画のまま残っていることが分った。
往時の街の姿は失われているが、旧町名から懐かしいイメージが湧いてくる。
「八軒町」、「同心町」、「指物町」、「紺屋町」などなど。

城下町の町名は、その町そのものを表わしている。
それが瞼の裏というか、脳裏というかに、おぼろに浮かんでくるのだ。
通りをたどりながら、城下町の仮想イメージを満喫できる。

また、結論がでた。

<新発田は、極めて魅力的なイメージを描ける仮想の城下町>、でもある。
『非現実』の世界の城下町・新発田、を再発見したということだ。
『非現実』を『現実』により近づければ、誰でもが楽しめる城下町になるのかも。

でもそれは、我が夢のまた夢。とにかく、マップを完成せねば。