IT:「新発田散策マップ」に写真と街路を追加
5月の紀行の成果として、久しぶりに「新発田散策マップ」に写真と街路を追加した。
写真は、24枚追加、1枚差替えであったが、整理に時間がかかった。
街路は「新築地」地区で、歩いた実感を反映するのに苦心した。
◆「三之町」界隈の写真
「三之町」界隈は小路まで含めて、江戸時代のままの街路が残っている。
「三之町」は東から、<指物町>横山小路<麩屋町>大善寺小路<桶町>石川小路である。
北は新発田川、南は町裏の通りで、東西400mの一直線。
街自体に往時の面影はないが、『台輪』を中心とした住民の方々の絆は強いようだ。
ちょうど『台輪』前で記念写真を撮る町内の新婚さんにも巡り会った。
町内会では「三之町」の再発見を進めておられるようで、大いに期待している。
「三之町」のメインストリートと各小路の十字路を撮影した。
今回は、十字路の撮影方向順を決めて、かつ、どの写真にも同じものを入れて撮影した。
これが大成功で、三つの十字路の計12枚を正確に「散策マップ」に載せることができた。
大善寺小路のは新発田川の手前にある銭湯『いいでの湯』の写真を掲載した。
町裏にある4つのお寺の写真も掲載した。
いずれも「現在の街の風景」ということである。
◆本丸内の写真
本丸の中で撮影した写真がなかったので、三階櫓と表門の2枚を追加した。
(三階櫓には自由にアクセスできるようになって欲しいものだ)
隅櫓と辰巳櫓は、新緑の樹々に遮られて良い構図が取れず、秋の撮影で補充予定。
◆「新築地」の街路
「新築地」は、旧城下町の西南部の武家町で、下鉄砲町のすぐ北側にある。
天保年間の絵図(一歩一間歩詰総絵図)には載っていないので、幕末に作られたようだ。
古地図(新発田城絵図・明治初年)の街路がそのまま残っている。
その「新築地」は、どこか不思議な街である。
街街の中に、田んぼのあぜ道の断片ではないかと思われる小径が数本ある。
どうも、屋敷割りの時にデザインされた小径ではないと思う。
そうした小径は、幅がせいぜい1m位で、曲っていて、砂利道部分もある。
また、北の部分に、杉垣を巡らせたお宅が2軒、武家町らしい風情を感じさせてくれる
真ん中あたりに、細い掘割がある。
南端は、下鉄砲町に並行し、両側が整然と屋敷割りされていた約180mの直線道路である。
現代のGoogleマップからは、そんな<風景>は思い浮かばない。
古地図を手にして、現地を歩いてみて、ようやく実感できるものだ。
「新築地」は、気さくな武家町らしさを残している、と感じる。
これはもう『新築地ラビリンス(迷宮)』と呼びたくなる。
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