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IT:「新発田マップ」開発の中間報告(4月上旬)

◆旧お堀を書込む
 旧お堀の書込みを始めた。
 三ノ丸の周囲と二ノ丸の南半分までが終わった。
 残りは本丸と二ノ丸の各北側部分(=自衛隊駐屯地内)となった。

 旧お堀は、Google Mapには何も情報はない
 古地図では、幅や角度や凹凸が複雑で、しかも方位や縮尺が正確でない。
 正しく再現するのは、今のところ、全く不可能だ。

 そこで、平均的な幅の帯状の図形で書き込むことにした。
 ほとんどの所は、堀に沿って街路があったので、それを拠り所にした。
 分かりにくい所は、適当に推測して描いた。

 「だいたい、こんな形でお堀がありました」という程度のものに過ぎない。

 それでも、本丸、二ノ丸、三ノ丸が Google Mapの上に浮き彫りになる。
 ありし日の新発田城の形が、おおよそ再現される。
 これだけでも十分、と自画自賛している。

  ◇ ◇ ◇

 実は、お堀の色は「ブルー」に設定しているが、表示に反映されていない。
 Web上のサンプルと同じにしていてもダメだ。
 気分が良くないが、その中に解決できると思う。


◆消滅した旧街路を「破線」にする
 旧外ヶ輪の南端部分は、古地図と Google Mapで、街路が食い違っている。
 古地図では、お堀に沿って、西寄りに街路があった。
 一方、Google Mapでは、21号線が旧住宅地を南北に縦断している。

 幸い、Google Mapに、旧お堀の街路沿い部分が水路として表示されていることを発見。
 (これは、心ある先人が、旧お堀の痕跡を後世に遺してくれたものである)
 これを手がかりに考えると、上記の食い違いの意味が分ってくる。
 
 つまり、21号線を直線的に引くため、外ヶ輪の住宅地を旧お堀側へ移動させた。
 そのため、旧街路が消滅したのであろう。
 この推測はいつか検証してみたい。

  ◇ ◇ ◇

 Google Mapでは、破線(点線)を表示するためには、特殊なテクニックが必要だ。
 Webでようやく見つけて、JavaScriptに組込んだ。
 消滅した旧外ヶ輪の南端部分を、破線にして表示できた。