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2012年01月03日

年頭所感2012

あけましておめでとうございます。

◆2012年の年頭にあたって
2011年は、3.11大震災・原発事故の衝撃を受け、その対応に追われた1年であった。
2012年は、暴露された日本社会の矛盾点を解析し、新しい針路を目指す年となる。
新しい針路は、真の日本の姿・形を再認識し、そこからスタートすべきであると思う。


◆2012年の検討テーマ
今年は、つぎのキーワードで<これからの日本>を考えてみたい。

・『脱経済優先』、『多様性』、『脱原発』、『脱F1野菜』

これらの中で、『脱経済優先』と『多様性』については、3.11以前にかなりまとめた。
『脱原発』については、、3.11にかかわるテーマとして、かなり論じた。
『脱F1野菜』については、、昨年末に触れた。

4つのキーワードは互いに密接に関連している。
2012年の眼で、改めて統合的に考えてみたい。
blogサイトのカテゴリーでは<これからの日本>に含める。


◆2012年の行動テーマ
今年は、つぎのような行動テーマを掲げることにした。

<新発田に伝統農業を基盤とした「子育て村」を創設する>

いきなりこのようなテーマを掲げたのには理由がある。
『孫』を育てる良い環境を創りたい、と思ったからだ。
わが『孫』は、2歳になったばかりのとても元気な男の子である。

伝統農業における「人と自然の共生」を体感させたい、という思い。
絶滅寸前の伝統農業を復活・継続させたい、という思い。
東京から農村へ子育て世代を移動させたい、という思い、などなども。

自分の孫だけでなく、次の世代を育てる環境として、伝統農業は最適と確信する。
いわゆる「体験農業」とは別次元の構想である。
農業の一部を「子育て産業」にする構想でもある。

まずは、宣言をしておきたい。

2010年05月17日

世相:出生率でメダル独占の徳之島

◆「無責任」に翻弄される徳之島
このところ、無責任政治と無責任マスコミに、鹿児島県徳之島が翻弄されている。
政治が事態を混乱させ、マスコミがそれをあおる。
バカバカしい茶番劇を見ているようだ。

◆徳之島は日本社会の未来モデルを示唆
そんな中、興味深い新聞記事が目に留まった。
(日本経済新聞 コラム「大機・小機」 5月13日付け)
コラムの見出しは「徳之島と日本の未来」で、要点は、

・徳之島の人口は、ここ15年間で約25%減少した。
・徳之島の老年人口比率は、30.6%に達している。
・徳之島3町は、合計特殊出生率(2003-2007)で、全国市区町村のトップ3!!!

つまり、徳之島は、
『人口減少、高齢化、少子化』の三重苦の日本の未来に希望の光を与えてくれるのだ。
『人口減少、高齢化』であっても『少子化』ではない社会のモデルなのである。

◆合計特殊出生率について
早速、厚生労働省のHPから、出生率データをダウンロードした。(Excel形式で可)
そのままでは全く使いにくいので、データベースに変換し、ランキングを作った。
リストのトップ10を、下表に示すが、みごとに徳之島3町がメダル独占である。

◇市区町村別「合計特殊出生率」(2003-2007)のベストテン◇
順位都道府県市区町村合計特殊出生率合計人口
1鹿児島県伊仙町(徳之島)2.427,244
2鹿児島県徳之島町(徳之島)2.1812,839
3鹿児島県天城町(徳之島)2.186,982
4鹿児島県和泊町(沖永良部島)2.157,403
5長崎県壱岐市('壱岐)2.0931,386
6沖縄県南大東村(南大東島)2.061,426
7鹿児島県長島町(長島)2.0511,883
8熊本県山江村2.033,899
9沖縄県宮古島市('宮古島)2.0253,316
10鹿児島県屋久島町(屋久島)2.0213,690


合計特殊出生率が『2.08』を下回る状態が長く続くと人口が減少する。
医療水準が上って平均寿命が長くなると人口の高齢化も急速に進むことになる。
この『2.08』を上回る市区町村は、わずか4町1市で、他の1,900余は、これ以下だ。

◆あるべき社会モデル
日本全体では『1.31』で、『人口減少、高齢化、少子化』の真っ只中にある。
徳之島的モデルをめざすとすれば、社会の抜本的改造が必要になる。
そこでは、大都市ではなく、地方が主役になる。

明治維新後の近代化、敗戦後の経済成長は、地方からの人材に依存して達成された。
今、地方は疲弊し、必要とされる人材(質と量)を供給する力は消滅している。
日本の再生は、優れた個性の人材を育成できる地方の再生無くしては実現しない。

2009年11月27日

事業仕分けのネット中継

◆仕分け作業のライブ中継
インターネットで、政府の行政作新会議WGの「事業仕分け」をみた。
3会場を並行してライブ中継している。
画期的な試みであり、民主党政権のクリーンヒットだ。

◆視聴したのは
国土交通省、農林水産省、外務省の予算の仕分け作業。
仕分け人と官僚の議論は、真剣で聞きごたえがあった。
予算の内容、目的、問題点が、ある程度まで理解できた。

◆おおまかな内容
もともと仕分けの俎上に載せられた予算なので、官僚側に分が悪い。
事前に一度打合せをしておいてから、この公開の本番に臨む。。
約1時間の議論で判定するのは難しいと思うが、やってみることに意義がある。

国土交通省(24日)では、地域の活性化に関する事業が対象。
官僚の説明では、予算事業にあまり魅力がなく、効果もなさそうだ。
11人の仕分け人のうち7人が廃止と判定。

農林水産省(24日)では、畜産関係の補助金が対象。
税金が、独立行政法人を通り、複数の業界団体を経由して、農家に届く。
中間に多額の基金(非常時の救済融資用))が滞留している。

天下りのいる機関を経由するルートは、すぐには変えられない。
農家のために予算は必要なので、今回は余剰基金を返還させると判定。
本来は、政府全体で金の流れを抜本的に変える必要があるということだ、

外務省(24日)では、政府開発援助(ODA)が対象。
病院を建設するなら、医療スタッフの確保も援助すべきだ、などの指摘があった。
援助プロジェクトの事後評価を確実に実施するように、と注文が付いた。

外務省(25日)では、国際交流基金が対象。
約800億円の基金は運用責任があいまい、国へ返還してはどうか、との指摘があった。
事業の第三者機関による評価が必要だ、コスト削減の努力が必要だ、なども。

◆官僚は反省を
仕分け人の質問に、官僚側が不十分あるいは的はずれな回答をする場面も目立つ。
これまでは、外部から内容を細かく問いただされた経験がないためであろう。
仕分け人の学習度に比べ、官僚の説明努力の欠如が浮き彫りになった。

官僚の説明は、天下り先&既得権益を維持しようとする魂胆がチラチラ。
官僚の説明は、安く簡便な方法を採用する意識に著しく欠ける。
官僚の説明は、以前からやっていて問題はない、とする傾向が多い。

◆感想
インターネットで閲覧できるのは、非常に良い情報公開だ。
各セッションの最初から最後まで、全てが中継される。
カメラは据え置きで、ずっと会議場を映している。

淡々として単調で、画質も劣るが、むしろ会議場のナマの熱気が伝わってくる。
TV中継(録画)のようなカメラワークや場面編集はない。
TVでは、わざとらしい演出もあり、場面のつまみ食いしかしていない。

議論の流れの中で、ひとつの場面が生じ、評決に至る。
場面の切り貼りも、仕分け人の表情のアップも、ときに事実をゆがめて伝える。
それ(だけ)を見てコメントするワイドショーは、TV報道の堕落を象徴している。

省庁にある<記者クラブ>の意向もあるようで、マスメディアは事業仕分けに批判的だ。
報道に省庁寄りのゆがみが感じられもする。
これでは、事実を淡々と伝えるネット中継に、マスメディアは勝つことはできない。

 ◇ ◇ ◇

今回の事業仕分けで、<官僚組織の甘さの弊害>が多く公開の場にさらされた。
事業仕分けの対象分野以外でも全く同様であろう。
それが、予算をいくら削減したかなどより、将来のための大きな成果なのである。

もはや自民党政治に戻すべきではない、という政治ショーでもある。
事業仕分けに批判的な自民党やマスメディアは、旧態依然の意識のままだ。。
事業仕分けは、来年度はより多くの予算について、実施して欲しいものだ。

2009年11月23日

日本の課題~人材育成

◆人材育成の論議
日本は、人の能力を資源として生きていく国である。
そのためには、高い能力の人材の育成が必要である。
ということについては、誰にも異論はない。

経済の閉塞状態を突破するため、研究開発や技術開発分野の人材強化が求められている。
なのに、日本は、先進国の中でも、教育予算の対GDP比がかなり低いという。
で、改めて教育改革がいろいろと論議されている。

そうした教育改革論議で気になることがある。
世界に通用する日本人的資質をどう身につけさせるか、に触れていないことだ。
知識や能力は、教育や訓練で身につけることはできるが、資質はそうはいかない。

◆基本的資質は幼少時に
おふくろの味、ふるさとの味を人は一生忘れない。
舌の味蕾(みらい)にしっかりと味が刻み込まれている。
幼少時の懐かしい思い出になってくれる。

味だけでなく、全ての感覚についても幼少時の記憶は体が覚える。
感性やセンスも同じで、幼少時に体に記憶される。
感性やセンスのような日本人らしい基本的資質は、後追い教育では間にあわない。

日本人の感性やセンスは、自然との関わりの中で磨かれてきた。
日本人の感性やセンスは、世界に誇る和の文化の基本的資質である。
日本人の感性やセンスは、幼少時に自然の中で過ごすことで体得される。

◆田舎で子供を育てよう
つまりは、田舎で子供を育てよう、ということだ。
日本人としての感性とセンスに優れた人材は、幼少時から育成しなければならない。
そうした基本的資質の上に、知識と能力を加えていくことが望ましい。

田舎の環境としては、やはり米作りがいい。
とはいっても、現代の機械化・効率化された農業は適切ではない。
伝統的な(やや古い人力便りの)米作りが適している。

伝統的な米作りでは、大型農機は使わず、土を傷める農薬も化学肥料も使わない。
伝統的な米作りでは、人が自然と折り合いをつけ、自然を利用し、その恵みを受けとる。
伝統的な米作りでは、自然と人の関わりのほとんどを実感できる。

◆始めチョロチョロ、中パッパ
小学校の4年生位までは、知識や能力はほどほどにして、もっぱら感性とセンスを育てる。
日常的に自然の中で生活し、田畑で農家の人(高齢者が適任)に指導を受ける。
やがて子供達には、生活にどんな知識や能力が必要かが分かってくる。

必要な知識は、当然、あらゆる学問領域にわたる。
知りたい知識は、与えられる知識よりも、桁違いにマスターが速い。
子供の知識欲と能力は、大人の想像をはるかに超越している。

幼少時の子供は、田舎の環境でのびのびと自由に育てるに限る。
それから知識を習得し、ついで興味ある専門分野をめざす。
明治時代の優れた人材も、そういう育ち方をしたのではなかったか。

2009年11月12日

文化立国への道(結の巻)

◆鳩山内閣は国家ビジョン>を!
何とかしてくれ~、という国民の期待を受けて、民主党政権が誕生した。
政権交代と来年度予算編成作業が重なり、低迷する景気と雇用への対策も必要だ。
混沌とした状況の中で多忙をきわめるのは分かるが、早急にやるべきことがある。

それは、日本をどういう国にするのかという<国家ビジョン>を示すことだ。
首相の所信表明演説はなかなかであったが、具体的な<国家ビジョン>は見えなかった。
友愛社会、コンクリートから人へ、などの表現では、抽象的に過ぎる。

国民に具体的なイメージと希望を与えるには、ユートピアを語るのが良いと思う。
実現できそうで、自分もがんばってみたいと思う<国家ビジョン>だ。
‥‥ 文化立国は、けっこういけると自負しているのだけれど。

民主党は選挙マニフェストにもこだわり過ぎている。
マニフェストの個々の項目は必ずしも国民の支持は高くないし、全体の整合性も怪しい。
この際現実的に見直して、<国家ビジョン>とともに再提示する方がいい。

◆地方主権=住民主権+住民責任
文化立国には地方主権が不可欠である。
しかし、中央政府から地方に権限と財源を移すには、相応の準備が必要だ。
首長や地方議会は、いまだ公共事業推進派が多数を占めている。

まず、国民(住民、有権者、消費者)が、主権を意識し、自己責任を自覚することだ。
国政選挙では、その一端が示されたといえ、民主党はその信託に応えなければならない。
それは、選挙マニフェストを硬直的に遵守することではない。

その上で、地方行政の見直しに着手することだ。
地方選挙をもう1~2回実施すれば、首長や地方議会を一新できると期待される。
そこから、本格的な地方主権の確立を始めるのが望ましいと思われる。

 ◇ ◇ ◇

現在の地方行政は、中央官庁の縦割り行政を束ねた形のように見える。
農業は農水省、商工業は経産省、医療福祉は厚労省、教育は文科省、‥‥
建設土木交通は国交省、そして地方の元締めの総務省、‥‥

使途限定の補助金・交付金で縛られ、規制でがんじがらめだ。
地方・地域の社会は、縦割り行政の寄せ集めではなく、生活が中心だ。
地方主権で、生活中心の行政を実現しなければならないのである。

◆文化立国への前進
地方主権への変革とともに、社会を経済効率優先から【文化】優先への変革が必要である。
地方再生には、文化立国の<国家ビジョン>が有効である。
従来の経済的発想では、地方(効率が悪い)の再生はほとんど不可能だ。

世にいう有識者(財界代表、経済学者、エコノミストなど)は、もはや頼りにならない。
この国難の時に、具体的な産業政策も雇用対策も提示できていない。
食べ飽きた経済定食メニューばかりで、オリジナル料理を提供する能力はないようである。

それでも、ようやく地方再生の真面目な議論がチラホラと出始めた。
しかし、依然として、地方経済の活性化などの「経済」の視点が主役だ。
地方の<社会>や【文化】を再生する議論は、もうしばらくは出てこないかもしれない。

 ◇ ◇ ◇

政府はまだ助走期間中である。
地方自治体はまだ権限も財源もない。
有識者の意見も、地方には役立たない。

となれば、地域の住民が主体的に立ち上がるしかない。
地域社会を再生するための<地域ビジョン>は、住民が創ればよい。
志を持つ地方・地域が連携して、各々の<地域ビジョン>の実現を目指すことだ。

【文化】は、各地で独自性を持ちながら、共通のキーワードになる。
伝統農業も、各地で独自性を持ちながら、共通のキーワードになる。
独自性と共通性が、多様な感性を持つ日本文化を生み出すのである。

【文化】は、これからの日本が世界で存在感を示す唯一無二の国内資源である。
【文化】は、独自の多様性を持つことで、世界から【文化】として認められる。
【文化】は、多様な地方で育まれることで多様性を持つことができるのである。

 ◇ ◇ ◇

地方から変革に踏み出して、選挙で政治体制を変革する。
それが、地方による地方のための地方の再生になる。
それが、本来の草の根の民主主義ではないだろうか。

2009年11月05日

文化立国への道(転の巻)

◆【文化】の破壊者と継承者
ちょうど本文を書いているとき、対照的なふたつの情報に出会った。
ひとつは、農と食に「経済」からの意見を掲載した日本経済新聞の記事。
対するは、伝統的な農芸品で【文化】を守り続ける人達を紹介するNHK TVの番組。

◆日本経済新聞 10/26付け特集記事
・シンポジウム「日本の農と食」 日本経済新聞社主催(9/24)より

シンポジウムでは、農業の再生には<大規模化>こそが必要だと強調された。
農業でも生産効率を上げるべしという「経済」的立場の人達の常識的意見だ。
しかし、その常識が、実は文化的には非常識という側面を持っている。

大企業経営者パネリストの発言(記事から引用):
・元気な高齢者が70歳になってもまだ農業を支えるというのはどうか。
 投資効率の高いところに投資すべきだ。
 企業、法人などに委託して預け賃をいただく形に持っていく。

つまり、高齢者が農業にしがみついていて非効率だから、さっさと引退しろ、という。
この発言には、いくつもの懸念される要素が含まれている。
以下、要点だけを述べておく。(後日、「農業の再生」論で詳述予定)

第一に、まじめに働いている高齢者に対して失礼だ。働く高齢者には敬意を払うべし。
第二に、農業は高齢者でも継続できる優れた職業であることを無視している。
第三に、農業効率化の式の分子を<米の売上>だけでみるのは、ごく貧弱な発想だ。

第四は、大規模化で離農する人達は、何を生きがいにするのか。
第五に、土と米への農家の強い愛着を、効率化に対する障害と捉えている。
第六に、大規模化できない農地の方が圧倒的に多いが、その解決には関心が薄い。

第七に、規模の大小を問わず、農家が自己責任で好みの米を作る環境を整備すべきだ。
第八に、農業は自然と人の共生であり、効率優先の工場生産とは根本的に違う。
第九に、<農業の現場>をほとんど知らない、中央からの発想ということだ。

などなど ‥‥。
危惧されるのは、大規模化で、農業を資本力で奪われた農村集落が衰退することだ。
ごく一部の大規模農家が生き残っても、農村社会が崩壊し、地域社会も崩壊する。

郊外の大型店舗は駅前商店街を衰退させ、進出していた工場は不況で撤退が相次ぐ。
「経済」の論理は、結局、非効率な地方を荒廃させ、切り捨てる。
そこへ同じ論理で、今度は農業に大規模化・効率化を持込む。 危うし、危うし!!!

‥‥ 大規模化は、複雑な農業再生にとってはひとつの手段に過ぎない。
‥‥ 農業を伝統ある地域社会の中で位置づけ、総合的戦略で再生する必要がある。
‥‥ 政府の農家戸別補償制度は方向性が見えない。 大規模化には逆風になるか。


◆NHK BS hi ”かいこさま”に感謝して ~ 福島県伊達市
これは「こんなステキナにっぽんが」というシリーズ番組の一編。
2009/10/14(水)12:30-12:55(再放送)を録画。
地方に残る貴重な【文化】を垣間見ることができた。

昭和に撮影された一枚の写真を手がかりに、ステキなにっぽんを探す。
今回は、福島県伊達市(旧保原町)で今も続く蚕の繭からの真綿作り。
江戸時代から、貴重な現金収入を得る農家の女性達の手内職であった。

当地の真綿は、蚕の繭を熟練の手さばきで袋状に開いたもの。
製品化された真綿は、背中、腰などに当てて防寒用などに使われる。
優れた品質で、現金で取引され、入金真綿(イリキンマワタ)と呼ばれた。

蚕は、養蚕農家(約30軒)が2週間、毎日新鮮な桑の葉を与えて飼育する。
蚕は、繭を一週間かけて作る。 糸は1300mという。
人々は、蚕への感謝の気持をこめて、”かいこさま”と呼ぶ。

現在、真綿作りの女性は、約100人。
その中の一人、81歳のおばあちゃんは、66年のキャリア。
繭5~6個で真綿1枚を作る。 緻密でスキのない作業。

1日に約1,000個の繭を使い、1週間で800枚程の真綿にする。
枚数がまとまると問屋が引き取りに来る。 今回は約1kgで、9300円也。
精算後、おばあちゃんは、務めを無事に終えたことを、まずご先祖に報告。

おばあちゃんのことば。
・元気で気分がよい日でないと、いい真綿ができない。
・最後まで真綿から離れないで、世を終わりたい。

‥‥ 人々の心を込めたひたむきな仕事ぶりに、日本人の心がある。
‥‥ おばあちゃんのことばは、地方の【文化】を支える心そのものだ。
‥‥ 地方にわずかに残る【文化】の火種を消滅させてはならない。

◆あまりに対照的
それにしても、あまりに対照的なことばとの出会いであった。
中央と地方、大規模と手内職、効率と伝統、高齢者排除と生き生き高齢者。
経済効率への偏りで、日本の【文化】は衰退し、人の心も荒廃した。

政治は、経済を<経世在民>の道具として運用すべきだ。
<経世在民=經世濟民=世を經(おさ)め、民を濟(すく)う>
今、日本は【文化】を拠り処にして「経済」を再構築すべき時なのだ。

2009年10月20日

文化立国への道(承の巻)

◆文化立国の三題噺
え~、文化立国の三題噺を一席。
お題は、<地方主権の確立>、<地方文化の再生>、<地方で保育・教育>。
いずれも<地方~>で、これらを織り込んだストーリー。

・中央集権の官僚制を地方主権に変革し、
・地方や地域の伝統ある文化を再生し、
・その環境で次世代の子供達を保育・教育する。
‥‥ おあとがよろしいようで。

◆地方主権の確立
中央集権の官僚統制は、「経済」中心の産業社会に都合が良い国家体制。
明治維新以来、敗戦を越えて、現在まで維持されてきた。
1990年のバブル崩壊は、その国家体制の崩壊の予兆でもあった。

社会変革の動きは、1993年の細川政権を成立させたが、政治力学の作用で頓挫した。
以後、自民党が実質的に政権の座にあったが、「経済」の再生はできなかった。
小泉改革と挫折、米国発の金融バブルの崩壊、日本の輸出依存経済の破綻、と続く。

8月の総選挙では、社会の変革を求める国民の意思が、民主党に勝利をもたらした。
鳩山政権には、地方主権をぜひ実現するよう期待したい。
ただ、<友愛+地方主権>では、日本再生の具体像が見えないのは、気にかかる。

<中央集権+「経済」>の経済立国では、地方は疲弊し、都市部をも不況に沈めた。
経済立国では、多様な【文化】を破壊し、単純化で成長をしたが、その限界がきた。
成長社会では、単純化=効率的だが、一角が破綻すると連鎖的に全体まで破綻する。

<地方主権+【文化>の文化立国は、元々は多様であった地方から日本を再生する。
文化立国では、地方の多様な【文化】で多様な人材を育成する。
成熟社会では、多様化=安全・安定・安心で、一角が破綻しても他がそれを補う。

既に述べたように、文化立国における地方とは、非・道州制である。
当面は、都道府県を残し、全国で300位の文化圏が散在するのが理想的だ。
(まもなくの臨時国会、所信表明演説で首相は国民に何を語るのであろうか)

◆地方文化の再生
地方には、日本の【文化】を再生する要素がそろっている。
自然、伝統、歴史、特産品、美味、名所旧跡、行事・慣習、方言、伝説、人 ‥‥。
【文化】の再生は、活動的な生活圏としての<文化圏>の再生でなければならない。

各地には、地域の特性を名称にしたいろいろな施設が存在している。
~郷、~里、~村、~国、~ランド、~~、‥‥。
しかし、主に観光目的の<文化圏もどき>が多いようだ。

文化圏では、自らの【文化】で日常生活を営む。
文化圏では、自らの【文化】で人を育て、【文化】を継承する。
文化圏では、自らの【文化】を外部へ発信し、他圏の【文化】に敬意を払う。。。

文化圏では、自然を守り、ふるさとの風景を保つ。
文化圏では、地産地消、省エネ、エコ生活を実践する。
文化圏では、郷土の歴史・風土を住民が学び、小中学校教育で必修化する。

文化圏では、伝統農法水田耕作(大型農機、農薬、化学肥料を使わない)を再生する。
文化圏では、伝統農法水田耕作を、小中学校教育で必修化する。
文化圏では、伝統的な工芸、農芸、漁法、芸能、行事、味覚などを保全する。

文化圏では、保育・教育環境を整備し、子育て世代の移入を図る。
文化圏では、医療・福祉・介護環境を整備し、高齢者の移入を図る。
文化圏では、農業、農工芸などの起業家支援で、志願者の移入を図る。

文化圏では、一般観光客、長期滞在者、外国人観光客をもてなす環境を整備する。
文化圏では、IT環境を整備し、携帯電話などに地域情報(多言語)を配信する。
文化圏では、脱車社会で、自家用車に依存しない移動手段を整備する。

(こんな文化圏があったら、座布団十枚差上げたい)

◆地方環境での保育・教育
文化立国では、【文化】による創造力ある人材の育成が目標となる。
多様な【文化】で多様な人材を、幼少時から育成するのである。
そのためには、地方の【文化】の再生が欠かせない。

これまでの経済立国=技術立国では、知識教育に大きく偏っていた。
幼少時から知識と解法テクニックの詰め込みが重視されてきた。
問題発見よりも、与えられた問題を解く教育であり、創造力開発の教育ではない。

文化立国では、問題発見志向の創造力教育を地方の多様な【文化】に託す。
さらに一歩進めて、自然の中で子供を育てる保育・教育を、地方再生の事業にする。
最適な教材として、その地方の伝統農法による水田耕作を再生し、活用する。

 ◇ ◇ ◇

水田耕作は、千年以上に渡って日本中のほぼどこでも行われてきた。
水田耕作は、気候、地形、水利、土壌、歴史、行事、慣習などと深い関わりがある。
それらの関わりにおいて、日本人の資質が、共通性と独自性をもって醸成されてきた。

つまり、各地の伝統農法には、それぞれ独自な【文化】が包含されている。
機械化された現代農法は、画一的であって、地域特性はほとんどない。
【文化】の再生には、まず、各地の伝統農法を再生、学習することが効果的だ。

伝統農法に触れて育つ子供は、まさに日本の【文化】の源泉を浴びることができる。
自然の豊かさ、自然との共生、農作業の厳しさ、仕事の段取り、読みと決断力、‥‥
生命観、収穫の歓び、共同作業、勤勉さ、経験の重さ、失敗と反省、自己責任、‥‥

教室では得られない実体験の世界が、目の前で展開していく。
自然の中で生活し、遊びながら、体験を子供心に沁みこませるのだ。
明らかに、経験豊富な高齢者は、最も優れた実践的指導者(教師)になる資格がある。

2009年10月18日

文化立国への道(起の巻)

◆【文化】ルネサンス
今、実行すべきは、15~20年を展望する【文化】ルネサンス。
地方の【文化】を再生し、地方で人材を育て、次世代の社会を託す。
【文化】が創出する人的資源で文化立国を実現するのである。

◆田舎の感覚 vs 都会の感覚
北海道で演劇塾を運営する倉本聡さんが、いつか新聞誌上で書いていた。
「大災害が発生したとき、身辺にまず必要なものは何か?」と問うた。
塾生は、「水」、「火」、「食べ物」などと答えた。

同じ問いを、東京の若者にした。
彼らは、「ケータイ」、「キャッシュカード」などと答えた。
う~む。

若者の大部分が都会で育ち、都会に住んでいる我が国。
こうした若者が、たとえば技術開発を担当したら、どんな発想をするのだろうか。
ゴテゴテの機能の付いた携帯電話や家電製品ばかりを創り出すに違いない。

生き物としての人間の感覚を失わせる都会の環境。
倉本さんの話は、我々の社会が既に危険水域に入っていることを暗示しているのではないか。
‥‥ 田舎に帰らねば。

◆自然と親しみ【文化】で子育て
自然と共生する地方の【文化】環境(=田舎)で、子育てをするのがいい。
その心は、『素朴な自然で、質素に暮らし、豊かな感性の子供を、健やかに育てる』。
‥‥ どこかの小学校の校歌みたいだ。

◆文化立国のイメージ(ユートピア風)
文化立国では、全国の津々浦々の文化圏から【文化】を発信する。
文化立国では、地域・伝統・歴史の時空を越えて交流し、新たな【文化】を創出する。
文化立国では、子供達が遊び、高齢者も働き、安定・安心の生活を楽しむ。

文化立国では、【文化】で人材を育てる。
文化立国では、【文化】を世界に輸出する。
文化立国では、【文化】を求める人達を世界から招く。

文化立国では、中堅・中小・零細企業が地方経済を担う。
文化立国では、先端技術分野の研究開発型企業を優遇・育成する。
文化立国では、大企業の海外市場開拓を外交・通商政策で支援する。

文化立国では、大量生産・大量消費・大量廃棄の経済を排除する。
文化立国では、伝統的な農業、林業、漁業、工芸、芸術を、手厚く保護・育成する。
文化立国では、公共事業ではなく、文化事業に国の財源を配分する。

‥‥ まるで、文化立国党(?)のマニフェストみたいになった。

2009年10月14日

国のあり方:経済から文化へ(結の巻)

◆文化立国のすすめ
日本の再生は、文化立国を目指すことにある。
地方の独自性(地方色)から発信される豊かで多様な日本の【文化】。
もはや「経済」をあれこれといじくり回せばなんとかなる、という日本ではない。

「経済」では、地方は活性化されない。(地方は経済では非効率ゆえ軽視されるから)
「経済」では、社会は幸せにならない。(豊かさは豊かな者へと優先配分されるから)
「経済」では、利益を追求しては破綻する。(自己破綻を防ぐ仕組みを持たないから)

【文化】は、地方を自立的に活性化する。(地方色を発揮し互いに切磋琢磨するから)
【文化】は、社会に安心安定感を与える。(個人の年功が累積・評価されていくから)
【文化】は、「経済」をも活性化させる。(独創的文化は海外との競合に優位だから)

◆文化立国への道
【文化】を基盤とする考え方で世界をみると、興味深いことが分かる。
「経済」=GDPでは、米欧日中が四極を占めている。
日本以外の米欧中は、人口も面積もはるかに大きく、民族も言語も宗教も多様である。

米国は、自由を求めて世界の英才が集結し、移民も流入し、IT・農業大国でもある。
欧州共同体は、【文化】と「経済」を共存させており、多様性はいうまでもない。
中国は、最大の人口が老齢化するまでは、経済成長し、規模の利益を享受し続ける。

では、人口も面積も小さく、民族も言語も宗教もほぼ単一的な日本はどするか。
それは、独自の多様性に富む【文化】を基盤とする文化立国を目指すことだと思う。
米欧中+印の「大」に伍し、「小」ながら【文化】で確実に<一極>を構成できる。

日本が「経済」で成長できたのは、【文化】が育んだ人的資源のお陰であった。
それを認識せず、「経済」は【文化】を破壊し、ツケが回って社会は破綻状態だ。
これからは、【文化】を維持・発展させるために「経済」を利用することだ。

◆高齢化社会には【文化】を
【文化】には年季が必要で、年をとって経験を積むことがレベルの向上につながる。
伝統に重みがあり、熟成には時間がかかり、高齢化はむしろプラスである。
経験を積み、創意工夫を重ねて、技能・技術が維持され発展していく。

「経済」は、とくに近年の技術開発志向経済は、早い者勝ちのデス・マッチだ。
既存の技術を次々と陳腐化させて、新製品で先行者利潤を挙げることが目的になる。
あくせくと前進するしかない企業は、開発部門で若者を優遇し、中高年はゴミ扱いだ。

消費者も新しい技術の商品に順応する若者が主役で、高齢者は疎外され勝ちだ。
デジタル経済社会では、その格差がきわめて大きくなった。
少子化で「経済」を支える若者が減り、増える高齢者は「経済」のお荷物になる。

つまり、『少子高齢化社会では、既存の「経済」は成り立たない』ことがわかる。
だから、経済学者も次の日本の「経済」に有効な政策を提案できない。
環境、省エネなどの有望とされる産業も、新興国とのデス・マッチが待っている。

もはや、日本は「経済」では成り立たないのだ。
この絶望的な閉塞感を、国民は肌で実感している。
谷垣自民党や経済学者が、依然唱える経済成長路線は、ただ空虚に響くだけである。

残念ながら、民主党政権も社会変革の政策を明示できていない。
文化立国を政策の軸にすれば、「経済」の次に来る社会の姿が見えてくる。
【文化】は、「経済」を排除するものではなく、「経済」にも新たな活力を与える。

【文化】を再生して地方を再生し、地方を再生して日本を再生する。
文化立国は、経済立国とは全く逆の理念なのである。
文化立国で、世界の<一極>で輝き続ける日本を、ぜひ創り上げたいものである。

2009年10月13日

国のあり方:経済から文化へ(転の巻)

◆変革を阻む障害の排除
文化立国への転換にあたっては、大きな障害を排除していく必要がある。
基本的には、既得権益や旧弊に浸りきった体質のもろもろである。
いくつかの<コンナモノイラナイ>という例を挙げてみたい。

1)道州制 ~ 上からの地方分権
日本再生は地方分権がカギで、その具体策は「道州制」だとされている。
しかし、この「道州制」に国民の期待はまるで盛り上がらない。 レッドカードだ。
理由は、二つあると思う。

ひとつには、「道州制」は官・財主導の上からの地方分権だからである。
「道州制」は国の出先機関の区分そのままに近い。
官僚から見れば、既得権力の出先機関を道・州に集約するだけでウハウハだ。

財界や経済学者も「道州制」論者が多いが、企業における事業部制のような制度だ。
都道府県を廃止し、上から日本を切り分け、そこへ中央の権限を振り分ける形態だ。
国民(住民)にとって、現状よりよくなるという生活実感が全くない制度なのだ。

ふたつには、「道州制」には【文化】の視点が全くないことだ。
形式的な権限分散と経済効率を重視した地方分権案に過ぎない。
国民(住民)の関心は、生活や文化に向かっており、そこに大きなギャップがある。

【文化】の視点からは都道府県でも広すぎる。(「経済」の視点からは狭ますぎるが)
つまり、都道府県を、道・州に拡げるよりも、十数個の【文化】圏に分ける方がいい。
数百の【文化】圏が、自主の気概を持って独自性を発揮するのである。

2)経済(Economy)の驕り
「経済」には驕り(おごり)がある。
「経済」が、社会を作り、文化を作るという驕りだ。
逆に、社会や文化に必要だから「経済」があるのだ。

Economyの翻訳語が「経済」で、明治時代に福沢諭吉が提唱したらしい。
その語源は「経世済民」である。
「経世済民」は、1500年ほど前の中国で既に使われていて、略語が「経済」であった。

「経世済民」とは、<世を経(おさ)め、民を済(すく)う>という心構えの教えだ。
ところが、Economy(翻訳で「経済」)=「経世済民」という勘違いが生じた。
つまり、経済(Economy)が世を治め、国民を救うという、うぬぼれた。

「経世」は、現代では『政治・行政』の担当であり、「経済」の担当ではない。
「済民」は、GDP至上主義の経済ではほとんど忘れられ、企業優先が現実だ。
「経世」でうぬぼれ、「済民」を忘れた驕れる経済至上主義者達にレッドカードを。

3)マスメディアの旧体質
先の衆議院選挙で政権が交代し、鳩山内閣が発足し、始動した。
旧自公政権時代と違い、清新な印象が強く、世論の支持率も高い。
この大変化に際して、目立つのは「マスメディアの旧体質」だ。

たとえば、日本経済新聞の社説や論説は、未だ小泉構造改革路線の論調のまま。
市場経済と経済成長とGDP拡大の主張は、選挙の民意に沿うものとはいえない。
民意は、生活優先の政策とまともな社会への変革の実行なのである。

民主党の政策(マニフェスト)を批判するのはいいが、財界寄りに過ぎる。
記事の方は民意を踏まえていて、きわめて正当な内容が多い。
新聞の性格もあるが、頭の切り替えができていない論者などにレッドカードを。

同じことが、TVキャスター、コメンテータにも見られる。
政権の大臣などに、政策実行のための財源はあるか、としつこく問い質す。
まるで、選挙前の自民党の代弁者であり、自らの立場を分かっていない。

選挙の結果を受けて、180度の転換が必要だ。
官僚予算を組み替えろ、暫定税率廃止は修正しろ、規制改革を大胆に進めろ、‥‥。
大転換期に、前向きの提案・提言ができないマスメディア関係者にレッドカードを。

4)官僚の抵抗
省益優先、無謬神話、天下り、官製談合、随意契約、前例主義、無用な規制、‥‥。
どうしようもない。 ばっさりやるのみ。
まずは、官僚全員にイエローカードか。

◆障害を排して文化立国へ
「経済」の頭を「文化」の頭に切り替えるのは、なかなか難しい。
理念を掲げる強い政治的リーダーシップが求められる。
その理念を実践するには、粘り強い草の根の国民の支持が不可欠だ。

民主党の政策の「文化」志向は不明瞭だが、旧政権よりは大lに希望が持てる。
地方には優れた文化的活動が散見される。
国に頼らず、地方に任せず、それが文化立国の基本理念だと思う。

2009年10月11日

日本のあり方:経済から文化へ(承の巻)

◆日本の【文化】
日本には、1500年以上におよぶ歴史と文化がある。
世界に誇る独自で高水準の文化だ。
恵まれた自然・風土、それらと見事に調和した農耕系の文化だ。

四季の変化に富む気候で、緑の山野が青い海に囲まれた東洋の島国。
勤勉・実直で、繊細・緻密な感性を持つ祖先達は、「和」の文化を育んできた。
あくなき好奇心と創意工夫は匠の技の原点になっている。

◆【文化】は江戸時代に完熟
江戸時代には、幕藩体制の下、300余藩で独自の文化が醸成された。
地勢、気象は変化に富み、方言、慣習、食、特産物、教育などは実に多彩であった。
主産業は水田耕作であり、経済は基本的に地産地消であった。

独自な地方文化が、参勤交代などで江戸に集まった。
既に歴史で積み上げられていた文化も尊重・継承されていた。
異文化が時空を越えて複雑に交錯・交流し、豊かな江戸文化に融合・発展した。

米の集積地の大坂でも上方文化が発達し、京は都の文化を守った。
地方と江戸・上方・京の文化は、江戸時代を通じて相互に影響しあい、熟成された。
鎖国と太平の世の中で、文化のマグマがたぎっていた。

◆【文化】が生んだ「人」資源
明治維新以降の日本は、蓄積された文化を資源として活用してきた。
実際は、「文化が生み出す人」を資源として利用した。
欧米の経済に追いつくための、日本の有効な手段であった。

明治維新では、優れた人物が地方から多数現れ、リーダーとして社会を変革した。
坂本龍馬、吉田松陰、大久保利通、福沢諭吉など枚挙にいとまがない。 
富国(経済力)で発展したが、強兵(軍事力)で国策を誤り、太平洋戦争へと至った。

敗戦後は経済発展を国策として、労働力が地方から工業地帯に続々と送り込まれた。
ひとりひとりが組織の歯車として、勤勉・実直に働き、同時に有力な消費者となった。
大企業を中心とした年功序列・終身雇用の総中流意識の社会が構成されていった。

◆【文化】資源の枯渇
昭和バブルはそうした「経済」主導の社会の破綻であった。
効率優先の「経済」は、人を都市に集中させ、地方文化を支える人材を奪った。
効率優先の「経済」は、大量生産大量消費の洪水で、地方文化の独自性を破壊した。

【文化】を浪費するのみで、その保護や育成への努力を怠ったツケが回ってきた。
農村は疲弊し、高齢過疎化し、商店街・地場産業は競争に敗れ、地域社会は崩壊した。
地方には、もはや独自の【文化】で人材を育て、都会へ供給する力はない。

一方、大都会の大量生産大量消費の真ん中で育った人材は、基本的に多様性に欠ける。
満員電車で通うサラリーマン、仕事のない若者、孤独な高齢者、金の亡者達 ‥‥
メタボの大都会(東京)では、ゆとりのある豊かな【文化】は醸成されない。

現在の日本は、未来の展望を失い、閉塞感にさいなまれている。
原因は、資源としての独自【文化】が枯渇し、独自な人材が枯渇したからだ。
江戸時代までに蓄積された【文化】は、昭和(バブル崩壊)までに使い尽くされた。

◆「経済」は「雑」を排除し、自ら失速
「雑」は非効率であるとして排除するのが「経済」だ。
「純」が効率がよいとして優遇される。
標準化、均一化し、大量生産・大量販売を押し進める。

これは、コーラ+ハンバーグと自動車とTVのアメリカ的社会だ。
地元でコツコツと営みを続けてきた個人商店、零細企業、零細農家は切り捨てられた。
「雑」とみなされた地方は根こそぎに、地方文化も一連托生で、切り捨てられた。

まるで、栄養素を、蛋白質・炭水化物・脂肪の三つだけ摂取してきたようなものだ。
ビタミンやミネラルを無視したあげく、合併症を患っているのが今の日本の現状だ。
B1不足」で脚気、カルシュウム不足で骨粗そう症、鉄分不足で貧血、などなど ‥‥。

「雑を排した経済」の失敗をその「経済」自身でカバーするのは、不可能だ。
バブルの崩壊後の政策は、日本再生を「経済」に依存し続けて失敗した。
結果、15年以上も低空飛行を続け、未来の展望も全く開けなくなってしまった。

◆地方文化の稀少価値
地方文化は、ビタミンであり、ミネラルだ。
日本にとって欠くことのできない稀少栄養素だ。
ひとつひとつは稀少であっても、いずれもそれぞれに果たす独自の役割がある。

こうした地方文化は、経済効率のフルイでは「雑」としてふるい落とされてきた。
我々は新たに【文化】の価値のフルイを使う必要がある。
明治以来、捨て続けてきた地方文化を敬意と反省をもって再生し、活用すべきだ。

日本文化は、世界に誇る高水準の独自文化であり、時代を越えて光り輝いている。
その本質は、独自の地方文化が支えていることを認識しなくてはならない。
地方文化を衰退させた「経済」主導の政策を、【文化】主導に改めなければならない。

2009年10月10日

日本のあり方:経済から文化へ(起の巻)

◆【文化】を基盤とする国家へ
これからの日本は【文化】国家を目指すべきと思う。
経済大国ではなく、文化大国へ。
経済立国ではなく、文化立国へ。

◆経済主導の行き詰まり
現代は、経済主導の時代で「経済」=GDP成長こそが国家を支えるという考え方だ。
企業が成長→従業員の給与上昇→消費が増大→企業の売上増加、という循環。
持ちつ持たれつの大量生産・大量消費で、みんなが「経済」的に豊かになっていった。

しかし、高度成長が行き詰まり、余剰資金で土地バブルが発生、やがてはじけた。
少子高齢化も加わり、内需が落ち込み、輸出依存の低成長時代に入った。
暗中模索の失われた十年が経過し、打開を図った小泉構造改革も格差をもたらし挫折。

◆経済至上主義の終焉
気が付けば、経済を追い求めた末、日本社会は規格化・単純化・均質化されていた。
地方は独自の【文化】を喪失し、過疎と高齢化にあえいでいる。
日本はこんな国ではないはずだ。 だれがこんな国にしてしまったのだ。

自嘲を込めて怒る国民は、先の8月の衆議院選挙で政権交代を選択した。
自民党政治=経済至上主義、に決別した。
大量生産・大量消費の経済至上社会を終焉させる、政治的機会が訪れたといえる。

◆【文化】で日本を再生
日本が「経済」の成果を輸出して社会を発展させる時代は終わった。
これからは【文化】を創出して社会を発展させる時代になる。
資源輸入→加工→輸出の「経済」から、伝統→熟成→創出の【文化】への大転換だ。

【文化】は、石油や鉄などのハードな資源と違い、汲めども尽きぬソフトな資源だ。
条件を整えれば、千年でも自己再生産を繰り返す。
ハードな「経済」からソフトな【文化】への転換に日本の未来がかかっている。